日本の薬局で手に入る白い粉 驚きの効力に「知らなかった…」と驚愕する世代も
「喉のケア」の際に頼りになるのが龍角散の商品。ツイッター上では、龍角散の、とある逸品が話題に…。
■予想外の大物が登場
声が枯れてしまって龍角散のど飴🍬舐めてたんだけど治らず、めそめそしてたら合唱団所属の編集者氏から「粉や!龍角散は粉!」と言われて🥄飲んだら、一発速攻で全快したんやがなんなんこれ……こんな粉が末端価格657円でドラッグストアで買える国やばすぎ pic.twitter.com/aklMRFcfS7
— 岸田奈美|新刊発売中 (@namikishida) September 3, 2021
今回の取材に際し、マーケティング部の担当者から話を聞くつもりだったのだが…なんと取材現場に姿を見せたのは、同社の代表取締役社長である藤井隆太氏。8代目社長にあたる藤井氏は「龍角散の粉」にまつわる紆余曲折の歴史を、非常に丁寧に語ってくれたのだ。
「龍角散」の歴史は非常に古く、元々は関ヶ原の合戦以降、藤井社長の先祖に当たる当時の「藤井家」(秋田藩の御典医を務める)が、藩の秘伝薬に蘭学で得た知識を融合させ、生み出した粉薬が現代まで脈々と伝わる「龍角散」になるという。
当時は一部の人々しか使用できなかった文字通り「秘伝」の薬だった「龍角散」に転機が訪れるのは、明治維新の頃。藩の秘伝薬を全国に販売することとなったのだが…当時の業績について藤井氏は「全く売れていなかったようですね」と振り返る。
このまま「龍角散」は「いち地方の秘伝薬」として歴史に埋れてしまうのか…と思いきや、大正時代末期ごろから「スペインかぜ」の流行を受け、需要がにわかに高まり始め、好転を見せていく。この頃から「龍角散」の大量生産が始まり千代田区に工場が建造されたワケだが、こちらは建て替えを経て、現在の本社ビルに生まれ変わっている。
ここから「龍角散」の快進撃が始まるのだろう…と記者は予想していたのだが、藤井氏の口からは「残念ながらこの後も、長らくどん底の時代が続きました」という意外すぎるカミングアウトが。
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■ここから逆転が始まる…!
「ゴホン! といえば龍角散」というキャッチフレーズに馴染みがある人も多いかと思うが、じつは80年代から90年代にかけて、同社の業績はかなり低迷していたという。
藤井氏が社長に就任した95年には「売上高と負債がほぼ同額」という凄まじい逆境に立たされており、藤井氏自身も「これからは小林製薬の『のどぬ~る』の時代だ」「喉に塗る粉なんて、もう化石のようなものだ」とまで考えていた始末。
しかし一方で、そんな「化石」状態にあった龍角散の粉を買い続ける人々がいることに興味を覚え、調査を行なったところ「龍角散は副作用が比較的少ないから、安心して飲める」といった意見が多いことに気づいたという。
実際「妊婦でも問題なく飲めるから」といった具合に産婦人科医から勧められた女性もかなり多かったようだ。こうしたユーザーインタビューを経て「龍角散」の良さを認識した宣伝を実施した結果、新しいユーザーが商品を手に取ってくれるように。
しかし「飲みづらい」というクレームが多く発生してしまい、そこから「龍角散を初心者に飲ませるのはやめよう」と考え方を改める。
そうして誕生したのが「龍角散ダイレクト」(医薬品)であり、令和の現代でも多くのユーザーに親しまれている「龍角散の のどすっきり飴」なのだ。なお、のど飴に含まれているのは、あくまで「龍角散をコンセプトに独自開発したハーブパウダー」であり、「龍角散」そのものが練りこまれているワケではない。
とはいえ喉に良いとされるハーブを配合しており、ユーザーからの評価も上々。記者も「龍角散といえばのど飴」というイメージを持つ人間の一人なのだが、喉に違和感を抱いた際、何度あの独特なハーブの味に救われたことか…。
藤井氏は「昼間にのど飴を舐めて、夜はうがいした後に、一日酷使をして弱った喉のケアのために、龍角散ダイレクトや、龍角散を使用してほしいですね」と、理想の喉のケアについて語る。
「歯が痛くなってから歯を磨く」のでなく、「日常的に歯を磨く」ことが虫歯の対策になっているように、喉のケアもこうした具合に「日常的に実施する」ことが重要なのだ。