玉袋筋太郎、『スーパージョッキー』過酷ロケを告白 「サイコロに入れられ…」
玉袋筋太郎がかつて放送されていた『スーパージョッキー』で経験した過酷ロケを語った。
28日の『バラいろダンディ』(TOKYOMX)で、玉袋筋太郎が日本テレビでかつて放送されていた『スーパージョッキー』の過酷ロケを語った。
■緊急企画を放送
番組は1952年10月28日に日本テレビが開局したことから「民放の王者日テレからテレビ局の基本を学ぼう」という緊急企画を放送。
玉袋が開局当時の日本テレビと今のMXを比較し、「所在地は日本テレビが麹町でMXが半蔵門」「社員数日テレ100人、MX130人」「スタジオの数、日テレは3つで、MXは1つ」「カメラ台数は2台、うちは4台」と説明していく。
そして「MXは70年前の日本テレビといい勝負」と自虐的な紹介をした。
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■過去のテレビ欄を振り返る
玉袋はその後、過去に掲載された新聞のテレビ欄を見ながらトーク。1992年8月29日のテレビ欄には、日本テレビに『24時間テレビ』の文字が。この日、後に恒例となるマラソンや加山雄三と谷村新司が「サライ」を作る内容が放送されていたのだそう。
宇多丸は「”ダウンタウンが汗まみれの黄色いTシャツで寛平の涙のゴールを迎える”って。汗まみれの黄色いTシャツって、嫌だよ」と当時の記事にツッコミを入れた。