『武田鉄矢の昭和は輝いていたSP』 実話をもとにした昭和歌謡第二弾が放送
昭和の実話をもとにした歌謡曲で「命の大切さ」を考える。13日放送『武田鉄矢の昭和は輝いていたSP』。
■「先人たちの奮闘を見た気がします」
スタジオゲストの加藤登紀子からコメントが到着。
加藤:いつもながら、貴重な映像や歌に出会えて、感動しました。起こってはならないことが起きてしまったとき、それを歌に歌うことで乗り越えてきた、その先人たちの奮闘を見た気がします。
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■「父子共演が果たせた」
作家であり音楽プロデューサーの合田道人氏からもコメントが。
合田氏:新聞記事に書かれた事件や事故、出来事を元にして生まれた歌の数々を集める今回。悲惨なボート転覆事故を題材にした「真白き富士の根」や洞爺丸沈没を歌った「あゝ青函連絡船」、交通戦争をテーマにした加藤さんの「赤い風船」など、考えさせられる背景と歌。
テーマ自体は大変重いものが多かったのですが、私にとってはじつに忘れられない出演回になりました。リモートという形でしたが、元新聞記者である89歳のわたくしの父(合田一道氏)も出演させていただき、父子共演が果たせたのですから…。思い出のページにつながる回になりました。ありがとうございます。
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■「歌は世の中とともにある」
統括プロデューサーの橋本かおり氏のコメントは下記の通り。
橋本氏:関東大震災のあと、演歌師の添田さつきが歌った「復興節」。その軽快なメロディが意外にも庶民にうけた。そのときのことを彼は”人はどんな悲境の底にいても歌は欲していることを思い知らされた”と記している。歌は世の中とともにある。
昭和8年三原山連続自殺が世の中を騒がせたときは、藤山一郎の「燃える御神火」が自殺者を減らしたという話もある。戦後の数々の事件事故も歌になった。世間の情報伝達の役割さえ歌がもっていた。そんな歌の背景に焦点をあて、秘話悲話を交えながら懐かしのヒット曲をお届けします。
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(文/Sirabee 編集部・ホンマみつる)