「東京の師匠」原田芳雄さんと酒場で偶然の出会い 究極のかき揚げ丼の思い出

【松尾貴史「酒場のよもやま話 酔眼自在」】人生に大きな影響を与えるきっかけとなった、故・原田芳雄さんとの偶然の出会いとは…。

2023/02/11 06:00


 

■「究極のかき揚げ丼作ってやるから」

天ぷら

電話を切ってすぐに鎗ヶ崎の交差点に出て、タクシーで向かったらあっという間に着いた。大勢の人が集まっているようで、和室に天ぷら鍋を出して、芳雄さんが粉まみれになって天ぷらを揚げていた。

「今ね、君に究極のかき揚げ丼作ってやるから」

それほど慣れているとは思えない手つきで究極はできるものなのかと訝しむ間も無く、すんなり丼を渡された。いただきます、とかき揚げの真ん中をそっと箸で押さえてみると、白い汁が染み出してきた。

「あの。これ、揚がってませんけど」と示せば、「君はなんだ、こだわり屋さんなのか」と笑いつつ揚げ直してくれたものは最高に美味かった。かき揚げ丼に夢中だったからかまったく気がつかなかったのだが、落ち着いたところで周りを見回すと、松田優作さんや桃井かおりさん、佐野史郎さん、若松孝二監督、林海象監督ら、緊張感を伴う感じのお歴々がわんさかといて時間差で慄いた。


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■家族のような濃密な関係

コースターはずいぶん長く部屋に貼っていたが、番号はとっくに覚えてしまっていた。天ぷらに味をしめて、その後も「腹が空くのを待って」電話をかけるようになり、10回中9回は宴席が盛り上がっているという幸運に恵まれた。

しかし、その時は幸運などと思わず、「ここの家はほとんど毎晩こんな大宴会を催しているのだろう」と錯覚していたが、飲み会を開くのは月に一度あるかないか、ということが後に判明した。

その後、大阪の事務所から現在の古舘プロジェクトに移籍するにあたり、フジテレビで報道番組をやることになって、「まがい物」の意味を持つ「キッチュ」(当時の芸名)ではニュースを読んでもらえないということで、その番組だけで使う名前をつけることになり、芳雄さんの家に相談に行ったら「いい名前を思い付いた。俺がつけてやる」という。それはありがたい、何ですか、と乞うと「タイミング良」と言われたので、その場で返上させてもらった。

それから芳雄さんが亡くなるまで、ずっと家族のように濃密に接してくれた。演技論や芸術論、政治、風俗の話に至るまで薫陶を受けることになり、「コンスタントに舞台に出続ける」という約束まで交わすことになった。入院していた時期を除き、その後の私の出演舞台は必ず見ては助言や駄目出しをしてくれた。

たまたま酒場で居合わせただけの偶然が、その後の私の人生にも大きく影響を与えることになったのだった。


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■著者プロフィール

松尾貴史

Sirabeeでは、俳優、エッセイストの松尾貴史さんの連載コラム【松尾貴史「酒場のよもやま話 酔眼自在」】を公開しています。ワインなどのお酒に詳しい松尾さんが「酒場のあれこれ」について独自の視点で触れていく連載です。今回は原田芳雄さんとの出会い、エピソードについて掲載しました。

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(文/松尾貴史

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