キンプリ、6人で打ち破った「マイナスムード」 平野紫耀の直談判で変えたことも…
デビュー以来、“気がつきゃトップ独走”してきたキンプリ。彼らの5年間の軌跡を振り返る。
本日22日、King&Princeの平野紫耀、岸優太、神宮寺勇太がグループを脱退し、ジャニーズ事務所も退所する(岸は秋に退所)。2018年にデビューして以来、多くの人に愛される人気グループになったキンプリ。
彼らの“シンデレラヒストリー”を振り返る──。
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■「デビュー打ち止め」の噂も…
今でこそ、ジャニーズは毎年のようにCDデビューしているが、キンプリがデビューする前は状況が異なった。あるテレビ局関係者が当時を振り返る。
「12年にA.B.C-Z、14年にジャニーズWESTがデビューして以降、18年のキンプリまで4年間、一組もデビューしない時期があったんです。15年ごろから、マスコミ界隈では『もうジャニーズからデビューすることはない』という噂も流れていました。当時、ジャニーズJr.の中でも『自分達はデビューできるのか?』と不安を抱く人が多かったといいます」(テレビ局関係者)。
16年になると、そんな「マイナスムード」に拍車をかける出来事が…。
「16年から17年9月に草彅剛さん、稲垣吾郎さん、香取慎吾さんが退所するまでの約1年半、SMAPの解散騒動が大きな話題となりました。国民的グループがなくなるのは、世間に大きなショックを与えました。今振り返ると、あの4年間、ジャニーズには不穏なムードが漂っていたかもしれません」(前出・テレビ局関係者)。
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■平野の「直談判」で流れが変わった?
そんな「空白の4年間」に終止符を打ったのが、キンプリだった。もともと、キンプリは15年に「Mr.King vs Mr.Prince」という期間限定グループとして結成された。
「Mr.King」は平野、永瀬廉、高橋海人、「Mr.Prince」は岸、神宮寺、岩橋玄樹(21年に退所)から成る。
「一時期、2つのユニットは分かれて活動していました。しかし、17年9月に平野さんが当時の社長・ジャニー喜多川さんに『この6人でデビューしたい』と直談判したんです。6人でデビューする提案を持ちかけた当初、ジャニーさんは少し迷っていたそうですが、平野さんらの熱い思いを聞いて翌18年にデビューすることが決まりました」(前出・テレビ局関係者)。
その後、20年にSnow ManとSixTONES、21年になにわ男子、22年にTravis Japanと、Jr.が次々にデビューしていった。必ずしもキンプリがきっかけだったとは言い切れないが、彼らが「デビュー打ち止め説」を払拭する、一つのいい流れを作ったのは事実であろう。
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■デビュー後もストイック
全員が端正なルックスで、ジャニーズの中でも「王道アイドル」として瞬く間に人気になったキンプリ。それでも、彼らが驕ることはなかった。
あるレコード会社関係者が語る。「仕事の合間にダンスレッスンを受けたり、メンバー全員で英会話スクールに通って英語の勉強をしていました。ジャニーズJr.の頃はダンスレッスンは必須ですが、デビューしてからも初心を忘れない姿勢を貫いていましたね」(レコード会社関係者)。
現状に甘んじず、常に高みを目指していたことが窺える。
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■「ダンスのレベルが上がった」
キンプリの存在は、他のグループにもいい影響を与えたようだ。前出のレコード会社関係者が続ける。
「キンプリの後にデビューしたSnow Manなど、4組のグループはいずれもダンスの技術が高いです。ジャニーズのパフォーマンスの高さは有名でしたが、さらに磨きがかかった印象です。常に挑戦を続けるキンプリが、他のグループにとっていい刺激になったのかもしれません」(前出・レコード会社関係者)。
キンプリが残した5年間の輝かしい功績は、これからも語り継がれていくことだろう。
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(取材・文/Sirabee 編集部・斎藤聡人)