田原総一朗氏、玉音放送の思い出を振り返る 貴重な証言にフォロワーも感動
78回目の終戦記念日である15日、ジャーナリストの田原総一朗氏が玉音放送の思い出を回顧。自決など生々しいワードが飛び出す貴重証言となった。
終戦記念日の15日、ジャーナリストの田原総一朗氏が公式ツイッター(現・X)を更新。敗戦が告げられた玉音放送の思い出を、生々しい証言とともに振り返った。
■「言葉が難しいのでよくわからなかった」
田原氏は「1945年8月15日の朝、ラジオで『今日の昼に天皇の玉音放送がある』と聴いた」と、事前告知があったことを回顧。
試聴環境については、「近所にはラジオの無い家がかなりあって近所の人達と僕の家で一緒に玉音放送を聴いた」そうだ。
内容に関しては、「玉音放送はノイズが多く、しかも言葉が難しいのでよくわからなかった」「戦争は続くから頑張れ、と言っているのか、戦争は終わったと言っているのか、意見が割れたが敗けたと判断した人はいなかった」と、周囲も含め理解できなかったと振り返っている。
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■「自決しなければ…」と生々しい証言も
どうやって敗戦を理解したかについては、「その後市役所の職員がメガホンで『戦争は終わった』と言って歩いていた」と、生き証人ならではの言葉で説明。
さらに、「8月中旬に米軍が東京湾から上陸し、僕の住んでる滋賀の彦根にくるのは10月くらいでそのときには自決しなければならないと言われていた」と、〝一億玉砕〟を教え込まれていた生々しい証言も飛び出している。
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■貴重な証言にフォロワー感動
率直な感想としては安堵したようで、「戦争が終わったと聞いてほっとした」と当時の心境を回顧。
だがその後については、「夜にラジオでどうやら敗けだのだと言うことがわかった。僕は悔しくて泣いてそのまま寝てしまい、目が覚めたら明るくて明るい気持ちになった。前の日までは灯火管制で真っ暗だったからだ」と、感情の起伏が激しかったことも振り返った。
玉音放送、灯火管制、自決といった貴重な証言に、フォロワーからは「貴重なお話ありがとうございます」「重くも当時を彷彿とさせるお言葉」「戦争の悲惨さを伝えてくれる人達がいなくなってきてる」といった反応が寄せられている。