広島と長崎に原爆が投下されてから78年 世界から核がなくなる日は来るのか
今年も広島と長崎では暑さのなか追悼式典が開催された。広島と長崎の市長らは改めて核保有国に対して核廃絶を要請。しかし世界は全く逆方向へ…。
核兵器の恐ろしさは、実際に被爆した人しか分からないかも知れない。
■核廃絶を求めるのは当然の声
広島で生まれ育った筆者も、昔から幼稚園や小学校では平和学習が頻繁に行われ、紙芝居で理解したり、当時は被爆者が日常的にいたので、その経験談を毎日のように聞いてきた。
その環境に長くいると、また人間として、核廃絶を求めるのは人間の自然の姿だと思う。
関連記事:第3次世界大戦の震源地は… ヨーロッパだけではなく北東アジアの可能性も
■核抑止重視の時代へ回帰する世界
だが、残念なことに、国際政治は冷戦以降の米国一極主義の時代から、再び大国間競争の時代へ回帰している。
仮の話となるが、たとえば米国が世界で圧倒的に強く、米国に異議を唱えられる国々がいなければ、米国が主導する形で、“さあ皆さん核兵器を廃絶しましょう”と核が廃絶させる日が来るかもしれない。
しかし、国力を付けて米国主導の世界秩序を変えようとする中国、ウクライナに侵攻したロシアのように、今日の世界では米国と対立する国々の影響力が高まり、そういった大国らは核を持つことによって対立国を抑止しようとしている。
なぜウクライナが侵攻されたのか。それはウクライナが核を持っていなかったからだ。
なぜ米軍はウクライナ戦争に直接関与しないのか。それはロシアが核大国で、関与すれば核戦争になる恐れがあったからだ。これくらい、今の国際政治でも核は国家の行動を暴走させる、もしくは制御させる役割を担っている。
関連記事:日韓関係改善で北朝鮮の暴走が激化する恐れ 核実験もあり得るか
■世界から核がなくなる日は来るのか
このように捉えると、世界から核兵器がなくなる日は当分来ない。
唯一核廃絶の日が来るとすれば、それは核を凌ぐ新たな恐ろしい兵器が誕生し、核が古い兵器となったときだろう。
・合わせて読みたい→プーチンがぶち壊した欧露「パイプ経済」 相互依存関係は平和をもたらさないのか?
(取材・文/Sirabee 編集部・セレソン 田中)