ジャニー喜多川氏の事件が日本社会の課題を照らし出す理由 個人の連帯
現代日本社会の問題は、自己のすり潰しと孤独感だが、ジャニー氏の事件は個人の連帯の重要性と困難を突きつける。
■陰謀論的権力批判の必要性
警察などの捜査機関や大手マスメディアが動けなかったのは、ただの怠慢以上に癒着的な権力構造のきらいも見え隠れする。SNSではすぐに陰謀論が起こりがちで、わけのわからない権力構造批判がなされがち。
よって「陰謀論には加担すべきではない」という一般原則を掲げることもできるはずだが、今回の事件は社会運動にせよ、陰謀論的思考にせよ、 シンプルに「なしにしてしまえばいい」と考えられたら楽なものの必要性を再考させられる。
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■求められる連帯
日本の文化的特徴は人間関係の重視が基本となっており、昔からの村落共同体におけるムラ社会構造が個人化の進展で解放されてきた歴史であった。
しかしながら、資本主義システムによる個人化の進展は、システムによる自己のすり潰しや孤独感へと転化し、逆に今日は個人と社会との一体感が求められている。
国民的漫画である『ONE PIECE』(集英社)も「任侠」や「仁義」という昔ながらの裏テーマ性を持っており、人々が連帯を求める今日性を反映しているだろう。
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■個人の連帯
ところがジャニーズの事件は、日本社会が過去のムラ社会に戻ることを強く警告する。個人を尊重し、個人が連帯することで権力の癒着構造に対抗していかなくてはならないという、油断ならない現実を突きつけているのだ。
無責任なSNSの炎上は全く以て危険であるが、一方でSNS社会でもなお動かせない危険な権力の癒着構造が存在する。ここに、叩きすぎてはいけないのか、なおも抵抗すべきかの判断の難しさがあるだろう。個人の連帯はなおも安易なものではない。
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(文/メディア評論家・宮室 信洋)