「太陽までの距離」書かれた標識、あまりの近さに目を疑うが… その正体に思わず感動
「太陽まで23km」という、衝撃の案内標識に遭遇。こちらの正体について探ってみると、感動的なエピソードが明らかに…。
9月も半ばに差し掛かったが、日中は「夏の暑さ」を実感させられる。依然として自己主張の強い太陽だが、以前X(旧・ツイッター)上では「太陽に関する標識」が話題となっていたのをご存知だろうか。
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■太陽、めちゃくちゃ近かったのか…
今回注目したいのは、日本各地で生きる人々の生活や昔の記憶、伝承などを記録して著作にまとめている紀行写真家・道民の人さんが投稿した1件のポスト。
「静岡には『月 3km』という道路案内看板があることで有名だが、北海道には『太陽 23km』という道路案内看板がある」と綴られた投稿には、道路上で目にする青色の案内標識の写真が添えられている。
複数の地名が並んだ標識の最下段を見ると…そこにはポスト本文のとおり「太陽 23km」なる、衝撃の情報が記されていたのだった。参考までに、JR東京駅−横浜駅間の距離が約33kmである。
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■「暑さで死んじゃう!」と悲鳴も
思わず二度見してしまうこちらの案内標識は多くの人々の注目を集め、投稿から数日で900件以上ものリポストを記録。
他のXユーザーからは「暑さで死んじゃう!」「南極へ行くより相当楽だった」「太陽、意外と近かったのか…」など、驚きの声が多数寄せられている。
ポスト投稿主・道民の人さんに詳しい話を聞いたところ、こちらの標識は北海道日高振興局にある「新冠町」(にいかっぷちょう)にて撮影したものと判明。
日本の風土に造詣の深い道民の人さんは「『太陽』という地名は、北海道では有名廃村・廃鉱山の羽幌炭砿地区のものとこちらの2つがあります。3年ほど前にこちらを訪れた際はゲリラ豪雨に見舞われて撮影ができなかったため、今回の再訪に伴って撮影できました」とも振り返っている。
また道民の人さん曰く、同地域では太平洋戦争後の1947年(昭和22年)、満州から引き揚げてきた人々を中心に戦後開拓が始まり、その際に「太陽」という開拓地名がつけられたとのこと。
そこで今回は、非常に興味深い「太陽」の詳細を探るべく、「新冠町教育委員会 新冠町郷土資料館」に取材を敢行。その結果、壮大な歴史を感じさせる様々なエピソードが明らかになったのだ。
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■『ウマ娘』でも注目集まる
取材を快諾してくれた新冠町郷土資料館に、まずは「太陽」の歴史について尋ねてみる。
すると、担当者からは「かつて新冠は『御料牧場』という、軍馬や農耕馬を育成していた地で、この牧場は宮内省など国が取り扱う機関でした。現在の太陽も、この牧場の範囲内にあります」「そして戦後、この牧場が解放となって、新冠にはたくさんの開拓者が入植しました。太陽地区には満州のほか、日本製鋼所室蘭製作所出身の引揚者が多く入植し、開拓が進められました」との回答が。
非常に印象強い地名の由来については、「太陽という名称は戦後、開拓団の団長が国の機関との協議を経て、高松宮殿下によって命名された地名とされています。地域の人は『太陽のように明るく、あたたかで、まるい地域になるように』との認識があるようです」と、説明している。
太陽にばかり注目してしまったが、もちろん新冠自体も非常に長い歴史を持つ町である。
担当者は「縄文時代の遺跡があり、大昔から人が住んでいた場所です。やがてアイヌ民族が生活するようになり、古くはコタン(集落)が形成されていました」「今でも『新冠アイヌ協会』があり、子孫の方々が文化継承を図っています」と、そのルーツについて解説してくれたのだ。
江戸時代になると、松前藩が海沿いに「新冠会所」を設け、和人とアイヌ民族が交易するように。そして明治時代に入り、新冠の大部分は前出の「御料牧場」となっていく。
・サラブレッド銀座と泥火山
北海道日高地方は日本最大の馬産地。特に新冠(にいかっぷ)町は数多くの名馬を輩出し、馬牧場が集中する道道209号はサラブレッド銀座と呼ばれている。そしてここには泥火山なる謎の地形も存在する。個人的に、こここそ日高の畜産業の歴史が詰まった風景だと思っている(続) pic.twitter.com/IHwtSKP3Vl— 道民の人(廃墟・ひなびた風景)@9/3(日)COMITIA145 【か46a】 (@North_ern2) July 1, 2023
そうした背景もあって、新冠は現在に至るまで「日本有数の馬産地」として広く認知されている。令和に入ってからはアプリゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』の影響もあり、より多くの人にその名が知れ渡っていったのだ。
余談だが今回の取材に際し、話題のポスト投稿主・道民の人さんが「太陽」について「厳しい開拓生活の中で、希望を象徴する名前だと思います」とコメントを発していたのが、じつに印象的であった。
新冠を訪れる機会があれば、ぜひ希望の地「太陽」にも足を運んでみてほしい。