美川憲一、デヴィ夫人テレビ番組初出演に動いた過去を回想 「私がきっかけなのよ」
美川憲一がデヴィ夫人のテレビ番組デビューのきっかけを作ったことを告白。初出演した番組は、徳光和夫が司会だったそうで…。
16日放送の『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』(ニッポン放送)で、美川憲一がデヴィ夫人の芸能界デビューに関与していたことを告白した。
■美川が徳光とトーク
美川がゲスト出演し、徳光和夫とトークしたこの日の『とくモリ!歌謡サタデー』。
徳光は「初めてあったのは、もう覚えてないかもしれませんけども、『柳ヶ瀬ブルース』でまだ髪の毛を七三ぐらいに分かれていた。その時に大橋巨泉さんと朝丘雪路さんと私で、どこの舞台だったか忘れたんですけどクラウンのコンサートがあって」と回想する。
続けて「続いては新人の美川憲一さんですと言ったら、 朝丘雪路さんが『低音のとても素敵な方ね』ということをおっしゃったんですね。そうしたら本当に綺麗な低音で」と振り返った。
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■徳光と美川が司会を務めた番組が…
さらに徳光は「その後ね、逸見政孝さんと美川さんが『夜も一生けんめい。』という番組をやられて。逸見ちゃんが亡くなったあと、 僕が会社の方針で継いだんですけども、それで美川さんと一緒に司会させてもらった」と語る。
そして「残念ながらこれ、逸見ちゃんだったから、本当に夜も一生懸命で、不器用な逸見ちゃんだからこそ成り立ってた番組でね、俺になったらすぐ終わりになっちゃったんだけど」と自虐コメント。
話を聞いた美川は「そんな悲しいこと言わないでよ」と笑った。
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■デヴィ夫人のバラエティ出演のきっかけは…
徳光は「あのとき美川さんは覚えているかなあ、デヴィ夫人が初めて出たんですよ、バラエティ番組に。ダヒルサヨっていう、フィリピンの歌を唄ったんです、『美川さんだから出る』とおっしゃったらしいんです」と振り返る。
すると美川は「仲がいいからね。私がバラエティとかに引っ張り出したんですよ、私がきっかけなのよ」と語った。
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■美川がギャラ交渉
美川はさらに「ミッチー・サッチー(野村沙知代・浅香光代)の時代があったでしょ。それでニューヨークにまだあの方がいてパリと行ったり来たりしてるころに電話をかけて、『今、ミッチー・サッチー、今、すごく熟年の女性の人たちが受けてるのよ 。今、チャンスかもよ、出ていらっしゃいよ』 」と話した。
そして「(ものまねで)『私にできるかしら』『ギャラはおいくらかしら』と。それで私も制作会社に電話をかけてギャラ交渉をして」「破格なギャラだったわよ」と出演のきっかけを作ったことを明かしていた。
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(文/Sirabee 編集部・佐藤 俊治)