橋上で遭遇したレアすぎる標識、指示内容に目を疑う 「初めて見た」とネット民驚愕…

人気観光スポット・江の島で発見されたレアすぎる標識。思わず目を疑うデザインが、大いに話題となっているのだ。

2023/12/22 04:45



■県警は「江の島だけ」

今回話題となった標識は、決して「大八車の通行止め」を指示するものではない。同標識の内容について、神奈川県警は「自転車以外の軽車両の、終日通行止めを意味します」と説明している。

現存する資料によると、現行の標識は2013年8月に設置されたもので、それ以前は「自転車も含む軽車両」が終日通行止めになっていたという。

なお「大八車と他の車両」が描かれた標識と比較すると、「大八車のソロ」標識はレア度が大きく上昇。神奈川県警の担当者は「神奈川県内では、江の島大橋のみとなります」とも補足していた。

さらに調査を進めたところ、こちらの「大八車」標識が誕生した背景には、なかなか興味深い説が存在するようなのだ。


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■「江の島と軽車両」の歴史を調べると…

その説は、「かつて江の島島内には多くの馬車が走っており、島民らが馬糞の迷惑を被っていた」というもの。そこで、車道を「歩行者・軽車両の通行止め」としたことが、江の島大橋の現代の交通ルールに引き継がれている…と考えられるのだ。

こちらの説の真偽をめぐり、続いては藤沢市の歴史・文化に関する専門機関「藤沢市文書館」に、ゼンリンのX投稿を見てもらうことに。

併せて前出の仮説を伝えたところ、藤沢市文書館の担当者は「そちらの説で想定されている年代は不明ですが」と前置きしつつ、「当館で調査する限り、現在の江の島大橋が1962年(昭和37年)に架橋される以前、江の島への物資搬入は基本的には船か人力(場合により自転車・バイク)により行なっていた、というのが結論です」と、回答していたのだった。

藤沢市教育委員会が編さんした資料『江の島の民俗』によると、同書45ページの「物の運搬」項目には「天秤棒をかついで島の中を歩く」「運送の仕事をしている人がいた」などの記載があるとのこと。

担当者は「ただし同書によると、氷は『片瀬から自転車で運んできた』とあり、戦後は単車(バイク)使用の記載もあります。また、人力車が島内に乗り入れるケースも時折見られたそうで、78ページには藤沢駅が開設されると『人力車による来島者が増加』『車夫が客を連れて来ると、旅館では客より先に車夫をねぎらい、まず酒を飲ませてリベートをやった』という表記があります」とも説明している。

さらに、1905年(明治38年)10月10日の新聞「横浜貿易新報」には「人力車に乗った外国人が江の島桟橋(江の島弁天橋=歩道の前身)から海に転落した」という記事が確認できるそう。

藤沢市文書館の担当者は「1911年(明治44年)4月21日の同新聞には『桟橋の構造が危険なため車馬が通行止めになり、貨物運搬に影響が出た』との記事があり、牛馬による運搬が全くなかったというワケではなかったようです」とも分析している。

現在は「自転車以外の軽車両」が通行止めの江の島大橋だが、かつては様々な「軽車両の歴史」が存在したのだ。なお残念ながら(?)、前出の「馬車による馬糞の被害」に関する資料は確認できなかったようだ。

江の島を訪れる際は、ぜひ「県内唯一の道路標識」に注目してほしい。


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■執筆者プロフィール

秋山はじめ:1989年生まれ。『Sirabee』編集部取材担当サブデスク。

新卒入社した三菱電機グループのIT企業で営業職を経験の後、ブラックすぎる編集プロダクションに入社。生と死の狭間で唯一無二のライティングスキルを会得し、退職後は未払い残業代に利息を乗せて回収に成功。以降はSirabee編集部にて、その企画力・機動力を活かして邁進中。

X(旧・ツイッター)を中心にSNSでバズった投稿に関する深掘り取材記事を、年間400件以上担当。ドン・キホーテ、ハードオフに対する造詣が深く、地元・埼玉(浦和)や、蒲田などのローカルネタにも精通。

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(取材・文/Sirabee 編集部・秋山 はじめ

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