大谷翔平、山本由伸らが同じ背番号で試合出場 今は亡きメジャーリーガーの功績称え
メジャーリーグで『ジャッキー・ロビンソン・デー』を開催。全30球団の選手らが「42」の背番号を刺繍したユニフォームを身にまとい、レジェンド選手へ敬意を表した。
米メジャーリーグ(MLB)では、現地時間15日に『ジャッキー・ロビンソン・デー』を開催。同日に行われた全公式戦にて、初の黒人メジャーリーガーで映画化もされたジャッキー・ロビンソンの功績を称え、出場した全30球団の選手たちがロビンソンの背番号「42」を着用した。
■大谷翔平、山本由伸らが背番号「42」
同日のロサンゼルス・ドジャースの本拠地・ドジャースタジアムでは、「42」の刺繍が入ったロビンソンのブルックリン時代のレプリカキャップが、来場者に配布されたという。
そして大谷翔平、山本由伸、ダルビッシュ有ら日本人メジャーリーガーや、監督、コーチたちは「42」の背番号の入ったユニフォームを着用した。メジャーでは2009年からこのイベントが開催されており、「42」は永久欠番扱いとなっていることから、黒人の外国人選手が日本の球団に入った際に同番号を選ぶことが多い。
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■ブライト健太も「42」を背負って
またMLBの公式インスタグラムでは「ロビンソンの影響は世界中に広がっている」と、中日ドラゴンズのブライト健太がロビンソンにあこがれて背番号「42」を付けていることを紹介し、話題となった。
ブライトは日本人の母とガーナ人の父の間に生まれただけに「ハーフ(ダブルまたはハイブリッド)の人たちに夢を与えられるような選手になりたい」という理由から、「42」を選んでいる。現在はファームだが、メキメキと力をつけている高卒3年目の外野手だ。
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■日本プロ野球はチーム単位で
日本のプロ野球でも、全選手が同じ背番号を着用して試合を行ったことがある。
2012年7月1日、4日にはプロ野球初の試みとして『ライオンズ・クラシック 稲尾和久 生誕75周年 永久欠番メモリアルゲーム 〜背番号「24」の記憶〜』と題し、埼玉西武ライオンズの全選手たちが、西鉄ライオンズのエースだった稲尾和久の背番号「24」を着用した。
2015年の8月6日には原子爆弾投下70年という節目の日だったこともあり、広島東洋カープの全選手が背番号「86」を着用。続く2016年9月29日には三浦大輔の引退試合に合わせて、横浜DeNAベイスターズの全選手が背番号「18」を着用した。
さらに2017年9月24日には井口資仁の引退試合に合わせて、千葉ロッテマリーンズの全選手が背番号「6」を着用。2019年9月23日には福浦和也の引退試合に合わせて、やはりロッテの全選手が背番号「9」を着用するなど、チーム単位では行われてきたが、12球団の全選手が同じ背番号で試合をしたことはない。
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■日米で継ぐ永久欠番への敬意
星野仙一、川上哲治、仰木彬、西本幸雄ら名将たちの追悼試合や、生誕メモリアルマッチなどでも、このようなイベントは催されている。メジャーでも、チーム単位での同じ背番号を背負った試合は追悼試合などで行われており、今後もこうしたイベントは日米ともに続いていくだろう。
注目は、日本のプロ野球で全選手が同じ背番号を背負うような試合が開催されるかだが、各球団で永久欠番となった選手たちに関しては可能性が残されている。歴史を振り返るだけではなく後世に語り継いでいくことも重要なだけに、このようなイベントは大切に続けてもらいたい。
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(取材・文/Sirabee 編集部・Sirabeeスポーツ取材班)