日本の「高度成長期」に新興国から熱視線 発展のロールモデルに
日本は太平洋戦争で敗北し、国土は文字通り焦土と化した。原子爆弾の実験台にもされ、「もはや日本は不毛の地」と言われていた。
だが、現在の日本は世界でもっとも豊かな国のひとつになっている。広島市に所在していた東洋工業は、原爆の惨禍から僅か数日後に工場を稼働させた。これがのちのマツダである。
終戦後から概ね20年後までの期間、日本人は必死に働いた。この頃の日本が、世界の新興国のロールモデルになっているようだ。
■日本を見習う新興国
マレーシアのマハティール元首相が現役だった頃、この国では「ルック・イースト政策」というものが行われていた。これはマレーシアが工業立国を目指す上で、ヨーロッパやアメリカではなく日本をロールモデルにしようという試みだ。
これには理由がある。マレーシアの旧宗主国はイギリスだが、マハティール氏が首相に就任した頃のイギリス工業界は完全に没落していた。労働組合の力が大きくなりすぎて、イギリス本国の工場では賃上げストばかりが発生していたのだ。
すると企業は設備投資を行わなくなり、従業員も働かなくなる。平気で工場のラインを止めてお茶を飲んでいたということもあったそうだ。これではロールモデルどころか反面教師……そう考えたマハティール氏は、日本に留学生を大勢送った。
■通貨安を乗り越えるため
マレーシアの隣国インドネシアでも、「高度成長期の日本を見習おう」という声が強い。インドネシア人の日本に対するイメージは、やはり「工業大国」である。この国の自動車シェアの9割は日本メーカーで、農民や漁師の間でも「発動機といえばヤマハ、ポンプといえばクボタ」という認識だ。
もし品質に優れた工業製品を大量に輸出できるようになれば、通貨安による不況を克服することができる。世界的に見ても「自国通貨が安いほうが有利」という国は日本と韓国くらいしかない。
しばしば通貨安に見舞われているインドネシアは、「世界の工場」になることを夢見ている。そのためには「日本に学ぶこと」が不可欠だと考えているのだ。
■写真展も開催
ところで、インドネシアの首都ジャカルタで、『戦後日本の変容展』という名のイベントが催される。戦後日本を題材にしたこの催しは、国際交流基金の主催。
1945年から1964年までの日本を表現した写真や映画などを現地で公開する。日本の激動期を記録した貴重な写真は123点に上り、しかも入場料などは一切ないという。
中央ジャカルタに所在する『Bentara Budaya Jakarta』を会場に、今月18日から30日までの開催が予定されている。このように、我が国の高度成長期というのは新興国市民にとって大きな関心事になっているのだ。
・合わせて読みたい→神が遣わした「天使」はダッチワイフだった 格差が起こした珍事件
(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)