サミット終了後の独仏首脳 ヴェルダン会戦式典へ向かう理由
伊勢志摩サミットは、安倍晋三総理大臣とバラク・オバマ大統領から見ればまさに超タイトスケジュールの中で行なわれた。その理由は、オバマ大統領の広島訪問だ。
国際メディアセンターにいた日米の記者は、サミット2日目にはすでに広島へ移動してしまった。機材を持っての移動だから、その労力は非常に大きい。
そしてそれは、ドイツとフランスの記者も同じだった。この2国のプレス関係者は、サミット終了とともに本国へ引き返している。それはヴェルダンへ行くためだ。
■地獄のヴェルダン
ヨーロッパ市民にとっての第一次世界大戦は、日本人にとっての広島・長崎に等しい。
もともとはバルカン半島諸国がオスマントルコからの独立を目指すために戦った「バルカン戦争」が、いつの間にかバルカン諸国同士の争いになってしまった。
そこへオーストリア・ハンガリー帝国とロシアが介入し、さらにその両国の同盟国が次々に参戦することとなった。
つまりイギリスやフランス、ドイツから見れば第一次大戦は「同盟国の同盟国の戦争」に過ぎないのだ。だからこそ、開戦当初は「同盟国としての義理を見せればすぐに戦争は終わる」と誰しもが考えていた。
ところが、この戦争は極端な防御優位の戦いだった。機関銃の性能向上により歩兵突撃が無効化されると、あとはどこまでも続く塹壕を掘って睨み合うしかない。だがその塹壕は不衛生極まりなく、兵士たちは疫病に苦しめられた。
これでは、何もしないまま兵力を削られる一方である。双方の指揮官たちはどうにか戦局を打開できないかと考えた。その「戦局打開策」の第1弾が、1916年2月から始まった「ヴェルダンの戦い」なのだ。
■今なお不発弾が存在
ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領は、日本から帰国した疲れを落とす暇もないままフランス北東部ヴェルダン古戦場へ向かった。
ヴェルダン会戦では毒ガス弾が使用された。通常砲弾も含めて、古戦場の地下には今も無数の不発弾が眠っている。また、観光客が当時の兵士の遺骨を発見するのも珍しくない。
このヴェルダン会戦はドイツ側の攻勢だが、結果的に双方70万人の兵士が命を落とす泥沼の戦いになった。ドイツとフランスの国民にとって、このヴェルダン会戦は黒歴史以外の何ものでもない。ここは彼らにとっての「広島」なのだ。
■7月にはソンムで
また、今年7月にはソンム会戦100周年式典も控えている。これはヴェルダンとは違い、英仏による攻勢作戦である。だがその結末はヴェルダン以上の惨劇であった。指揮官の無策で行なわれた歩兵突撃により、イギリス軍は攻撃開始初日だけで2万人の戦死者を出した。
そのような古戦場で開催される式典の場で、イギリスのキャメロン首相がどんな発言をするかが注目されている。同首相はイギリスのEU脱退を政治的な交渉材料としてちらつかせているという批判がある。
だがソンム古戦場でそのような「交渉ゲーム」は許されない。「戦争の記憶」と国際政治の関係は、このようにいつも密接しているのだ。
・合わせて読みたい→伊勢志摩サミットとスナック菓子 「限定仕様商品」を報道陣に配布
(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)