アントニオ猪木氏が党代表に 今こそ振り返る「スポーツ平和党」とは

2016/06/08 05:30


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※画像はアントニオ猪木公式ブログのスクリーンショット

モハメド・アリ死去の報道が流れる直前、こんなニュースがあった。アントニオ猪木参議院議員が、所属政治団体『日本を元気にする会』の代表に就任したという。

これは前代表の松田公太氏が、政党要件喪失を受けて引責辞任した結果だ。猪木氏は今もその影響力が絶大で、また現代日本の一文化を築いた稀有な人物でもある。

その猪木氏が政治団体を率いることになった。本人にとって、これは人生2度目のことだ。



■スポーツ平和党とは?

猪木氏はかつて、『スポーツ平和党』という政党を率いていた。

このスポーツ平和党は、スポーツを通じて社会問題解決に取り組み、全国民に健康的な暮らしを提供するというコンセプトで設立。

伝説的なプロレスラーが作った政党ということもあって、全国のプロレスファンからの支持が相次いだ。猪木氏は新日本プロレスの社長だったが、政治家になるにあたりその座を後輩の坂口征二氏に譲っている。

スポーツ平和党は1989年の参議院選挙において「デビュー」を果たしたが、この時大きな問題が生じてしまう。猪木氏は比例区での出馬だったのだが、当時の比例区投票は政党名記載しか認められていなかった。しかし投票用紙に「アントニオ猪木」と書かれた無効票が大量発生してしまったのだ。

それでもカリスマ的な人気を武器に当選し、晴れて参議院議員になった。


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■猪木氏の功績

政治家・アントニオ猪木の最大の功績は「イラク人質問題」

1990年11月、イラクはアメリカとの戦争勃発を目前にしていた。この戦争はのちに「湾岸戦争」と呼ばれるが、当時のイラクの独裁者サダム・フセインは国内にいた外国人に対して出国禁止を命令した。

空爆を避けるための人質にするためだ。もちろん、その中には日本人も含まれている。

猪木氏は日本の各航空会社に、イラクまでのフライトを要請する。自らイラクに乗り込むためである。だがこれはことごとく却下された。

次に駐日トルコ大使に呼びかけトルコ航空のチャーター便を手配できるよう嘆願。こちらは快諾を得ることができ、すぐさまイラクへ飛んだ。

そしてイラクの首都バグダットで新日本プロレス主催の興行『平和の祭典』を開催し、見事人質の全員解放にフセインを導いたのだ。


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■発覚した癒着

一方で、スポーツ平和党は問題もあった。それは佐川急便との癒着である。

東京佐川急便事件というものがある。これは自民党の金丸信が、佐川急便から5億円もの裏献金を受け取っていたという事件だ。この当時の佐川急便は経営陣が膨大な額の債権を乱発し、そこから発生した資金を政治家たちにばら撒いていた。

猪木氏もそれを受け取っていたと報じられた。問題はその時の対応である。記者会見で激昂した上、有権者が納得できる説明をほとんどしなかったのだ。

この件で猪木氏が刑事告訴されることはなかったが、政治家としてのイメージに大きく傷をつけ1995年の参院選で落選。この時、かつての弟子だった高田延彦氏が所属するさわやか新党との票の二分もマイナスに影響してしまった。


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■今なお人気は衰えず

それでも猪木氏のカリスマ性は、今も衰えることはない。

たとえば猪木氏の生涯の敵だったジャイアント馬場のDVD分冊本は、売り上げの面で大きく及ばないという。猪木氏の行動には賛否両論あるとはいえ、その影響力を否定する者はあまりいない。

「猪木が笑えば世界が笑う」とは本人の言だが、あながち嘘ではないかもしれない。

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取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一

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