セクハラ騒動で再び注目の善光寺 本尊の「苦難の歴史」とは
長野県にある信濃善光寺の貫主が、セクハラ疑惑で厳しい糾弾を受けている。
天台宗の小松玄澄貫主は以前から、問題の多い人物として知られていた。自筆の書を独断で高額販売するなどの金権姿勢に加え、女性職員に強引な交際を迫った疑惑は、日本の仏教13宗派にも大きな影を落としている。
だが、善光寺は日本全国無数にある寺社仏閣のうちのひとつに過ぎない。なぜ、この最高責任者の不祥事がここまで大きく報道されるのか。
それは、善光寺が「日本仏教の根源」とも言うべき存在だからだ。
■権力者に利用される阿弥陀如来
善光寺の本尊は、一光三尊阿弥陀如来像。この阿弥陀如来は大陸から伝来した、日本最古の仏像と言われている。
だが、その姿を見た者はほとんどいない。善光寺建立以来、この阿弥陀如来は絶対の秘仏になっているのだ。定期的に行われる「本尊開帳」は、「前立本尊」すなわち「本尊のレプリカ」の開帳。本物の阿弥陀如来は、決して人目に触れないところで厳重に管理されている。
この善光寺阿弥陀如来は、歴史の権力者に利用され続けたという経歴も持つ。
戦国時代において最も名の知られた大名である武田信玄は、「本尊を保護する」名目で善光寺から阿弥陀如来を持ち去った。それを今の甲府市に移し、甲斐善光寺という新しい寺社まで建てたのだ。当時の甲斐の領民は、両手を上げて歓喜したという。
時代が下ると、今度は織田信長の息子たちが阿弥陀如来を政争の具に。信長の嫡男である信忠、そして彼の死後は弟の信雄、さらに信雄のブレーンだった徳川家康の手に渡り、そのたびに阿弥陀如来は移動を余儀なくされた。
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■秀吉の思惑
家康の次に善光寺本尊を入手したのは、豊臣秀吉。
秀吉の行った「刀狩り」は、日本人なら誰しもが知っているだろう。刀狩りを実施する上での名目は「大仏を建てるための材料にする」ことだ。もちろんそれは建前ではあるが、秀吉のすごいところはその建前を実現していることである。押収した武器から釘やかすがいを作り、それを材料にして木造の大仏を造ったのだ。
ところがその大仏は、完成からあまり時を置かずに地震で倒壊。当時の民衆は、これを「秀吉は神仏に祟られている」と考えたはずである。
そこで秀吉は、動揺する民衆の感情を抑えるため「助っ人」をアウトソーシングした。それが、善光寺本尊の阿弥陀如来。「わしの治世は、日本で最も偉大な仏に守られている」とアピールしたのだ。
だが、秀吉が病に倒れると「阿弥陀如来の祟り」という噂が立つように。つまり逆効果を生んでしまったのだ。仕方なく秀吉は、阿弥陀如来を信濃善光寺に戻した。それ以来、この本尊を持ち出す者は出現していない。
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■宗教者の言動
信濃善光寺は、天台宗と浄土宗の共同管理の寺社。「貫主」とは天台宗側のトップを指し、浄土宗側のトップは「上人」である。こちらは代々尼僧が務める。
こうしたことを鑑みても、貫主によるセクハラ行為は浄土宗側を刺激するものであると言わざるを得ない。「宗教者の無法」はキリスト教社会でも問題になっているが、日本人にとっても「他人事」ではないのだ。
宗教に詳しくない日本人はあまり意識しないが、国際社会において宗教者は一目置かれる存在である。特に宗教テロが相次ぐ現在、伝統宗派の重鎮の存在意義は拡大。善光寺の貫主となると、その一挙手一投足が世界から注目される。
此度のセクハラ疑惑は、善光寺の歴史に大きな傷をつけてしまうかもしれないのだ。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)