悲報!石川・穴水町立図書館から貴重本が消えた件の応対に憤り
もはや紙の本の文化自体が廃れていることは百も承知である。
現在、社会人が1年間に1冊の本さえ読まない割合は4割にも及んでいる。多くの理由は「忙しい」から。
本が好きな人は年間に何冊も読む場合もあるだろう。前に挙げた通り「忙しい」なりにも通勤時間などを利用し、本の場所をとらないスマホやタブレットを使って読書をしている姿を多く見かける。
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■石川・穴水町立図書館で本を誤って破棄
石川県にある穴水町の町立図書館で、輪島漆芸美術館館長・四柳嘉章さんからの寄贈図書の殆どが廃棄されていると報道された。
図書館は9年前の能登半島地震で大きな被害を受けたため、倉庫などにすべての図書を移した。
図書館が移設されるまでのあいだに職員が「利用頻度が低い」などの理由で、寄贈図書約2,200冊のうちの300冊ほどだけを残して、他すべてを処分してしまったのだ。
中には日本民族学会会員しか購入できない会報や、寄贈者の妻の遺品である芥川龍之介全集の初版本も含まれていた。
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■穴水町の応対に憤り
同町の教育委員会教育長は「四柳さんにたいへん申し訳ないことをした。二度とこのような過ちがないように管理を徹底したい」と話した。
ここで気に入らないのが「二度とこのような過ち」という点。一度処分してしまった貴重な本は、もう手元に帰ってくることはないのだ。
一般の電子書籍は一度消してもほぼ100%また手に入る。だが紙の本は、破棄してしまえば読むこともできないし触ることもできない。
もっといえば、時代を重ねてきた紙の香りを嗅ぐことも、だれから渡ってだれへ行った大切なものかをも知ること・見ること・伝えていくこともできない。
寄贈本のなかには、いくら貴重とはいえ金銭的には価値の低いものもあるかもしれない。しかし問題はそこではない。
長年大切に所有していた人がどんな思いで寄贈したのか、という心の問題だ。妻の遺品である芥川の全集をも失ってしまい、肩を落としている氏の憤りがひしひしと伝わってくる。
町では今後「図書の管理をパソコンによって徹底し、職員教育の強化もする」と話しているのだが、気分の悪さを払拭できない。パソコンが壊れた場合、またオロオロするだけであるのが目に見えているからだ。
図書館に勤めていながら本の価値もわからない人間に、「紙」の「カミ様」から大きな罰を与えてほしいものだと鬼の形相で切に願っている。
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(文/芥川 奈於)