イスラム教徒のデザイナーが祖国を捨てた悲しい理由とは?
女性用水着ブランド「Dar Be Dar」は、アメリカ全土で販売され、ミス・ユニバースのスポンサーになるほど、多くの女性から支持されている。
しかし、その成功の裏に一人の女声の数奇なドラマがあったことは、あまり知られていない。
■少女たちのパーティに武装グループが突入
タラ・ラアッシさんのインスタグラムより、イランで暮らしていた頃のタラさん。
Tala Raassiさん(@talaraassi)が投稿した写真 – 2014 2月 6 5:34午前 PST
「Dar Be Dar」を立ち上げたデザイナーのタラ・ラアッシさんは、イランの首都テヘランで育ったイスラム教徒だ。
ご存知のように、イランはイスラム教国家で政治、法律、宗教が一体となっている。そのため、イランに暮らす人はイスラムの規律を守りながら生活をしなければならない。
1998年、タラ・ラアッシさんが16歳の時に事件は起きた。
その日、タラさんは友人の家で開かれていたパーティへ参加していたのだが、そこへ突然、イスラム教原理主義者の武装グループが踏み込んできたのだ。
武装グループの目的は、イスラム教の戒律を破っている者を見つけ出して罰すること。
パーティと言っても、16歳の少女たちはアルコール類を飲んでいたわけでも、違法薬物を所持していたわけでもない。
ただ、その時少女たちの着ていたのがミニスカートやタイトなトップス、マニキュアや化粧をしていたことが問題となった。
タラさんたちは不良少女のレッテルを貼られ、手錠をかけられ留置所へ連行された。
「私たちは、まるで政府の転覆を計画するテロリストのような扱いでした。この時私は、自分の信仰について疑問を抱きました」
囚われの身となって5日後、少女たちには「ムチ打ち40回の刑」が実行された。年頃の女の子たちがオシャレをしていただけで罰を受けるとは、日本人の感覚だと信じ難い話だ。
しかし、タラさんは暗い建物の中でベッドへ横になり、革のムチで殴打された。
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■祖国を捨て自由の国へ
この理不尽な仕打ちに耐えかねたタラさんの家族は、祖国イランを捨て、自由の国アメリカへ移り住んだ。
「最初にアメリカへ到着した時、私は英語も喋れなければ友達もいませんでした。でも気づいたんです。ここには私の人生を変えるチャンスがあるんだって」
タラさんは語学学校へ通いながら、イラン人が経営するブライダルショップで働き始めた。服の販売に携わったことで、いつしか自分がファッションに夢中になっていることに気付いたそうだ。
「私が育ったイランでは、女性がオシャレを楽しむことはできなかったし、学校でもファッションについて教えてくれませんでした。アメリカに来るまで、私は自分がファッションを愛していると知らなかったんです」
働きながらファッションについて学んだタラさんは、独立して水着ブランド「Dar Be Dar」を立ち上げた。
彼女がデザインする水着は多くの女性達から支持されブランドは急成長。2012年、タラさんはニューズウィーク誌上で「世界で最も勇気のある女性」にも選出された。
「世界中の女性が、批判を恐れず好きな服を着る権利を獲得する手助けこそが、私の使命なんです」
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(取材・文/しらべぇ編集部・狐月ロボ)