安らぎと喜び、感動を伝える酒造り 話題作『山間』を生んだ新潟第一酒造の想い
戦後の酒蔵大合併で生まれた新潟第一酒造を取材。
「今年は、白鳥が早いですね」 前を向いたまま、人の良さそうなタクシードライバーが言った。 思わず、どれどれ、と窓の向こうを見ると、田んぼ、また田んぼ。果てしなく広がるばかり。
「左側のほうがわかりやすいかな」というので、向き直して目をこらすと、2~3グループと思われる塊で、白い羽を休める白鳥の群れが見えた。
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■銘柄「越の白鳥」は公募で決定
南魚沼市の六日町駅と上越市の犀潟駅を結ぶ「北越急行ほくほく線」の南側、妙高市にある妙高高原駅と海側の上越市の直江津駅とを結ぶ「妙高はねうまライン」までの間は、湖沼や田んぼが広がる。
水も豊富で落穂もたくさん。しかも、美味しい。日本海を渡って訪れる白鳥にとって、招くように広がる平地に加えて、この土地の豊かさは、きっと魅力的なのに違いない。
豪雪地帯でも知られる山並みが終わり水田が始まる山端。低い山を背負い、はるかに広がる田園風景を見渡す高台に新潟第一酒造は蔵を構えている。この酒蔵の代表銘柄は、『越の白鳥』。
「今日は、いませんね。いつもは応接間のこの窓から、白鳥の姿も見えるんですよ」と教えてくれたのは、急用のため出なければならないという4代目で代表取締役社長の武田良則さんに代わって、対応してくれた醸造責任者の岩崎豊さん。
新潟第一酒造が酒蔵としてスタートするに際して、話題作りもあったのだろう、銘柄名を懸賞金付きで応募を募ったという。
そうして選ばれたのが『越の白鳥』。その頃、新潟市の近くにある瓢湖に訪れる白鳥が話題になっていたためとのことだが、今ではここにも飛来し、その数は増えていると聞く。
『越の白鳥』は、訪れる白鳥に心癒されながら醸された酒、とも言えるかもしれない。
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■坂口安吾ゆかりの蔵も入っていた戦後の酒蔵大合併
新潟第一酒造の前身ともいえる亀屋酒造は、「越の曙」という銘柄で1922年、旧浦川原村の現地にて創業。
高度成長期の1963年、旧松之山町の越の露醸造、旧大島村の大島酒造、そして旧松代町の和泉屋酒造と、中小企業近代化促進法により合併し、新潟第一酒造株式会社を設立した。
全国各地でいくつとなく行われた、同法による合併で、新潟県では第1号だったという。 2年後にさらに旧中里村の一川酒造が加わる。
こういった酒蔵の合併では、持ち回りで社長に就くことが多い。初代社長には旧越の露醸造の村山政光氏。母は坂口安吾の姉。つまり、村山氏は坂口安吾の甥。途絶えていた『越の露』は平成の初めに復活を果たすことになる。
初代会長には現社長の祖父で大島酒造の武田良文氏が就いた。 こうして『越の白鳥』という銘柄も決まり、新潟第一酒造は動き出したのだった。
先代である3代目から武田家の武田誠二さんが社長となり、2008年、父からの代替わりで、現在の4代目・武田良則さんが代表取締役社長となっている。