東日本大震災から9年 応援訴えた蔵元「いちばん怖かったのは未来が見えなかったこと」
東日本大震災後、自粛ムードの中で東北の日本酒への応援を訴えたYouTube動画を覚えているだろうか。
3月11日。関連死を含めた死者・行方不明者が2万2167人を数えた東日本大震災から9年。津波で甚大な被害を受けた太平洋沿岸地域に加えて、福島第一原発事故とそれに伴う計画停電、サプライチェーンの寸断など、東日本を中心にその影響は幅広い地域に及んだ。
テレビで繰り返し放送された凄まじい津波への恐怖感や計画停電の影響もあり、震災直後の日本列島を覆った「自粛ムード」。その中で、岩手県の小さな酒蔵たちが声を上げ、YouTubeに動画を公開したのを覚えているだろうか。
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■蔵元たちの声が共感呼ぶ
「ハナサケニッポン」と題された動画に出演したのは、いずれも岩手県の酒造関係者で、二戸市の『南部美人』5代目蔵元の久慈浩介さん、盛岡市の『あさ開』杜氏だった藤尾正彦さん、紫波町『月の輪酒造店』杜氏の横沢裕子さん。
2011年3月半ば、都内の公園などでは石原慎太郎都知事(当時)の号令により、「お花見自粛のお願い」という看板が掲出されていた。そうした状況の中、「過度な自粛ムードは経済的な二次被害につながる」というのが蔵元たちの声だった。
動画の企画・制作は、現在はしらべぇ編集長を務める筆者が有志の仲間たちとプロボノ活動として行ったもの。
盛岡在住の友人から3名を紹介してもらい、当時は東北への交通手段もなかったため東京とSkypeをつないで彼らのメッセージを収録した。台本などは一切なく、彼らの思いをありのままに話してもらった。
徹夜で編集して翌日公開した動画は多くの人々の目に触れ、大手新聞社も社説で紹介。菅直人首相(当時)も記者会見でこの動画に触れ、「東北の日本酒を飲もう」という動きは全国に拡がった。
その後、日本酒にとどまらず「被災地の産品を飲んで食べて応援しよう」というムーブメントが生まれ、自粛ムードから応援モードへ切り替わる流れにもつながっている。
震災から9年、その後の東北はどのように歩んできたのか、地域に根ざして地酒を醸してきた日本酒業界の現状はどうなっているのか。久慈さんに話を聞いた。
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■復興には格差
「9年経って、間違いなく前には進んでいるが、復興には格差がある」と語る久慈さん。岩手県内の酒造業者は、応援消費による支えもあり、早く復興を果たすことができたという。
たとえば、三陸の大槌町で甚大な津波被害を受けた赤武酒造は、盛岡に移転。今や岩手だけでなく日本を代表する人気の酒として高く評価されている。
一方で、沿岸部ではいまだ仮設住宅に住む人もいる。また、「県内では漁業の復興も遅れている」という。9年の歳月が流れたからこそ生まれている復興の格差は、いまだ大きな課題だ。