原田龍二、昭和のゲーセンは「無傷じゃ帰れない」 宇多丸は裏技に言及
50代で東京都出身の玉袋筋太郎、宇多丸、原田龍二が昭和のゲームセンターについて語り、盛り上がった。
27日放送の『バラいろダンディ』(TOKYOMX)で、原田龍二、宇多丸、玉袋筋太郎が昭和のゲームセンターについて語ったことが話題だ。
■ゲームセンターの思い出を語る
番組はゲームセンターの歴史を振り返る記事を紹介し、東京都出身の50代男性という共通点を持つ原田、宇多丸、玉袋がそれぞれ思い出を語った。
宇多丸は「対戦格闘ゲーム流行の影響で喧嘩やトラブルが絶えなかった」とする記事の内容に「対戦型とかがはやる前から、ものすごい怖いところでしたけどね」と振り返る。
そして、「基本的にカツアゲされる覚悟で行くようなところ。僕は幸いにも体が大きかったのでなかったですけど、やっぱりなんとか良くも悪くもこうちょっとヒリヒリした場でありますよね」とコメント。原田と玉袋も納得していた。
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■宇多丸と玉袋が懐かしむ
宇多丸はさらに「子供たちもさ、これでやるとクレジットが出る、ゲームが勝手にできるとか言って、電子ライターでカチャカチャやって」と当時を懐古。すると玉袋が「それ見つかっちゃってさあ、大変な目に遭ったんだよ、俺。ゲームセンターのおやじに見つかっちゃって」と語る。
さらに宇多丸と玉袋は「ハイパーオリンピックとか、定規を使ってビリビリビリって走らせるとかね」と振り返る。同世代の原田も「ありましたねえ、定規」と納得していた。