【2020年「本屋大賞」の旅】本屋が変わる今、この賞も変化すべき時ではないか?

2015/04/22 17:00


しらべぇ0422本屋少し時間が経ってしまったが、4月7日に2015年度の「本屋大賞」が発表された。受賞作品は『鹿の王』上橋菜穂子(KADOKAWA)だった。書店では、「本屋大賞決定!」とデカデカとコーナーが展開されている。

そういえば、近所の区民図書館にも唐突に「本屋大賞 上橋菜穂子氏の『鹿の王』に決定!」という垂れ幕があった。たぶん、すぐには借りることができないと思うが。

ただ、お祝いムードに水をさすようで恐縮だが、そろそろこの賞はあり方を見直す時期がきているのではないかとも感じた。

本屋大賞はいったい、いつまで今のやり方で続くのか、と。本屋の減少する中、である。この賞の現状を通じて、出版業界の変化を論じ、問題提起したい。



■11年前にはじまり、今では作家が喜ぶ「賞」に

「本屋大賞」は「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本」というコンセプトで運営されており、書店員による投票で決まる。

約11年前、私はこの賞が始まった頃から、注目し、応援してきた(準備が始まったのは12年前である)。PR紙である『LOVE書店』にも何度か寄稿したことがある。

4月8日付けの日本経済新聞夕刊は受賞者である上橋氏「これまでのどんな評価にも増して光栄です」という喜びの声を伝えている。

2014年度にも国際アンデルセン賞・作家賞を受賞している上橋氏は、本好きで、初めてのアルバイト先も書店だったという。だからこそ、書店員が選ぶ賞の受賞は大変に喜んでいた。

この記事は実に感慨深かった。そうか、11年前に始まった本屋大賞はこのように、作家が受賞を心から喜ぶ賞になったのか、と。

この賞がそれだけ長い期間にわたり継続し、定着していることを嬉しく思う。書店に行くと本屋大賞関連のコーナーは何かこう存在感がある。同賞が出版業界を盛り上げてきたことは間違いない


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■けど…本屋大賞ってそもそもなんだ?

しらべぇ0422本屋2画像はスクリーンショットです

「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本」というコンセプトはそれ自体は明確だ。

「なんで、この作品なのか?」とクビを傾げてしまう大御所審査員が選ぶ伝統的文学賞とも違い、わかりやすい。新たな才能を世に紹介してきたとも言える。そのことは高く評価するべきだろう。

しかし、この「本屋大賞」に対しても、ここ数年クビを傾げる機会が増えてきたのはなぜだろう?

こういうことを書くと「若き老害の常見がまた何かを批判し始めた」などと言う人がいるのだが、別に批判、攻撃しているわけではないので、ちゃんと最後まで読んで頂きたい。

そして、ちゃんと批判することも、評論家、研究者の仕事である。なんせ、私は「若き老害」だ。

本題に戻ると、「本屋大賞っていったいなんだろう?」「他の文学賞とどう違うのだろう?」「これ、悪い方向に進んでないか?」と考えてしまうことがあるのだ。

2015年度で言うならば、2位に『サラバ!』(西加奈子 小学館)が入っている点が注目するべき点であり、「本屋大賞ってなんだろう?」という議論が盛り上がるポイントである。

しらべぇ0422本屋3画像:amazon

そう、この作品は第152回直木三十五賞(所謂、直木賞)を受賞した作品なのだ。大賞の『鹿の王』とは73点差で2位だったのだが、直木賞とのダブル受賞ということになっていたら、西加奈子氏のこの作品はそれだけの注目作だったとも言えるが、直木賞も、本屋大賞も何なのだろうという、どう違うのかという話になってしまう。

もともと「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本」というコンセプトであるのだが「売りたい」という言葉を書店員と読者がどう捉えるかによってこの賞の意義、価値はガラリと変わる

一般的には認知度が低いが、書店員が「この本を売りたい」と思って発掘してくれて、その本がスポットを浴びるというのなら、意味があると思うのだが、もともと売れている本を紹介するのなら、それはどうなのだろうと思ってしまうのである。

理想論かもしれないが。実際、今年の賞を特集した『本の雑誌』増刊号『本屋大賞2015』では、書店員たちの熱のこもった声を読むことができるが。

また、この賞には「発掘部門」というものがあって、洋の東西やジャンル、さらに刊行の新旧を問わずに、書店員が「売りたい」と思った本、常日頃から思っている本を推薦する部門があるのだが。


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■この賞に対する決定的な不安

さらに言うならば、日本における文学賞というのは、歴史のある賞を含め「本を売るための話題作り」という側面があるので、「売れる」ということを意識するのはいまさら悪いとは言いたくないのだが。

それこそ、この手の賞はショーなのではないかという批判もあるわけだが(遠藤周作がそんなことを言っていたような)、文学作品に注目してもらうという機能を私は批判するつもりはない。

それこそ、芥川賞、直木賞だって本が売れないシーズンのテコ入れのために作られたという説もあるくらいだから。

さて、この賞に対する決定的な不安は、「本屋大賞」というが、本屋と書店員はこれからどうなるのかという問題である。この賞の準備が始まったのが2003年で、第1回の受賞作が発表されたのが2004年だったが、その頃から「出版不況」なる言葉をよく聞いたものだ。

ただ、この十数年で出版業界はさらに冷え込んでしまったのは周知の通りである。出版事情を安易に総括することはしたくないが、ざっくり言うと、あの頃ですら「昔はよかった」と言いたくなるくらい今よりは本は売れていたし、いくつかのジャンルが流行ったり、メガヒットが生まれていたりもしていた。

本が売れず、本屋の数が減る中、「本屋大賞」はいつまで存在することができるのか、問われていると言えないだろうか? まだ、熱い書店員がいて、本を届けたいという想いを持っていることを信じたいが。

コンテンツやそのマネタイズ手法の過渡期を生きていることを日々感じる。もろもろ意思決定が難しい時期だとは思うが、今後も出版業界を盛り上げるためにも、「本屋大賞」のあり方をいまこそ議論するべきではないだろうか。

さて、たとえば5年後の2020年、「本屋大賞」はあるのだろうか。そもそも本屋はどれくらい残っているか? 激しく直視したい。

(文/常見陽平

コラム作家芥川賞
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