国葬された偉大なフランス人による唯一の難解小説「テスト氏」【芥川奈於の「いまさら文学」】

2015/07/05 08:00


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人間とは何を思考し、分析し、記しあげていく生き物なのか。難解な「人物」、テスト氏と正面から向き合うには?


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■あらすじ

作者の分身ともいえる「テスト氏」。


彼は世の中に対する関心が一切ない。常に気にしているのは、日々、ミリ単位で変化をしていく感覚・概念を逃さぬように生きること。


人と交わっても、結局は自分の精神の中に引きこもってしまう彼は、この小説を通じて人並み外れた高度な頭脳で何をなしとげるのか?

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■浸透しているフランス文化魂

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この作品は、作者アンブロワズ=ポール=トゥサン=ジュール・ヴァレリー(1871~1945)が残した唯一の小説である。

彼は主に詩人であり、評論家でもあり、亡くなった際には国葬が催されるほどの“フランスの宝”ともいえる存在。

『テスト氏』は大変難解な小説である。「彼」はヴァレリーの分身でもあり、その概念を吐き出す道具でもある。

このような「人物」が生まれた背景には、ヴァレリーの育ちと教育に原点がある。

南仏の港町に生まれたヴァレリーの心の中には、常に透明で明晰な地中海の海が広がっているのだ。この、常に変化をし、何かを漂わせる海の存在こそ、彼の絶えず流れゆき止まらない思考と感覚を研ぎ澄ませているのではないか。

また、ヴァレリーの生き方はボードレール(1821~1867)、ランボー(1854~1891)等の詩人からも影響を受けている。

彼はフランスの気高い文化や気候が生み出した天才といえる


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■作者を映す鏡となりて

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ヴァレリーがもうひとつ拘ったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの存在である。

彼は本作を出版する1年前に『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』という評論を発表している。

結果、ヴァレリーは人生の主題として精神を選んだ。恐らくではあるが、その精神の隙間を埋める方法に関心を持ち、精神とは方法そのものではないかと気がついたのだろう。

こう書くと非常に難しいと感じるかもしれないが、「テスト氏」はそのヴァレリーの分身である。“精神=ヴァレリー”だとすれば、“その精神を現実化させている方法=テスト氏”なのである。

しかし、最終章「テスト氏の最期」の末文で、ヴァレリーはこんなことも書いている。「知的な最期。思考の葬送行進曲。」

この文章だけで、ヴァレリーがなぜ小説をこの一篇しか書かなかったのかが解かるような気もする。彼にとって精神を描き写す先は、この方法だけではないと思い立ったからではないだろうか。


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■難解すぎる小説には難解なスパイスを

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©iStock.com/fiphoto

正直なところ、『テスト氏』は、小説としては本当に難解な作品である。十人が読んだら十通りの答えが出てもいいように感じる。

先に書いたように、精神と方法の法則が成り立つとすれば、同じくそれに該当する作品がある。ロシアの巨匠、アンドレイ・タルコフスキー(1932~1986)の映画作品『鏡』である。

この映画は、タルコフスキーの心象風景と精神が入り混じった実に芸術的で、しかも難解な作品なのだ。

「テスト氏」を読んだついでに、併せて鑑賞したいと思える映画である。

※そんな「テスト氏」を読みたくなったら…

日本で翻訳されたもので最も古いものは、1932年の小林秀雄によるものである。

現在では、清水徹訳の岩波文庫版が主流。訳によっても解釈が全く違うのがこの本の特徴でもあるので、様々な種類を探して読み比べてみるのも面白いかもしれない。

なお、今回参考にしたのは、福武書店文庫の粟津則雄訳版『テスト氏』であることを書き加えておく。

さらにヴァレリーを知りたい人は、堀辰雄の中編小説『風立ちぬ』の冒頭を読むとワクワクさせられるだろう。堀自身が訳したヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節、「風立ちぬ、いざ生きめやも」が引用されており、また小説の題名にも使われているからだ。

(文/芥川 奈於

コラム文学
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