あの名優が演じた型破りな教師…どこを切り取っても青春な物語【芥川奈於の「いまさら文学」】
1959年のアメリカ。厳格な校風を持つ名門校に、OBである国語教師ジョン・キーティングがやって来る。それまで抑圧されていた思春期の生徒たちは、彼の自由奔放な授業方法によって生き生きと解き放たれるが、やがて思わぬ結末が待っている。
まさに「青春」物語の王道。それが、N.H.クラインバウムの『いまを生きる~DEAD POETS SOCIETY~』だ。
キーティングが来るまで、舞台であるウェルトン・アカデミー校は厳格で、時間や発言に厳しく、生徒たちは全寮制の中で生活の殆どを監督されている。そう、彼らは自由を圧せられた軍隊並みの管理教育を受けているのだ。
少しでも逆らうものなら即退学。生徒たちはきっちりとネクタイを揃え、校長やその他教師の言うことに従順であった。
ゆえに、型破りなスタイルで熱っぽく講じる新任国語教師・キーティングとの出会いは、そんな少年たちにとってあまりに衝撃的だったのである。
「教科書の今のページを破りなさい!」と言ったり、『処女たちへ 時をむだにするなかれ』という、今までなら考えられないような詩の朗読をさせたりと、単なる熱血先生とは一味違う「自由」な教育方針は、それまでの管理教育を全て覆すものであった。
戸惑いながらも自己の殻を破り、自由に向かって走り出す。解き放たれた少年たちの素晴らしき世界は、読んでいて清々しい。
そして、邦題の「いまを生きる」(=キーティングが作中で発する「カルペ・ディエム」というラテン語)を聞いた生徒たちは、いたく感銘を受けるのだった。
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また、作中には生徒たちが作る「死せる詩人たちの会」という秘密組織が登場する。夜中に寮を抜け出して近くの洞窟へ入り、女学校の女生徒も混ぜ、各々が詩を朗読し合う会だ。
「死せる詩人たちの会」は、元々キーティングが学生時代に作ったものである。
この部分は、作品中でも大変素晴らしい場面のひとつである。普段真面目で品行方正にしている生徒たちが煙草を燻らせ、楽器を奏でながら全く健全な「自由」を手に入れているのだから。
そして、そういった素直な子供たちほど危うく脆い面を持ち、ストーリーは酷い悲しみに暮れていく。
だが、最後にはキーティングと生徒たちの切り離すことはできない熱い信頼、結びつきが顕著に現れるのだ。
「おおキャプテン! 我がキャプテンよ!」と、最後までキーティングを信じ続けた生徒たちが行動を起こすシーンも見所である。
どこを切り取っても青春、な作品と言えよう。
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この作品を、小説ではなく映画でご存知の方もいるかと思う。
2014年、残念ながら自ら命を絶ったロビン・ウィリアムズを教師役に迎え、のちにスターとなっていくイーサン・ホークらを輩出した1989年の映画だ。本作品を読む前、もしくは読んだ後に映画版を鑑賞するのもいいかもしれない。
(文/芥川 奈於)