イタリア男性はいつ「愛してる」って言うの?モテ男たちに愛を語ってもらいました
ハロウィンも終わってそろそろクリマスに向けてイルミネーションがはじまりますね。イルミネーションを見るとテンションが上がる人も多いと思いますが、「あぁ、恋したいし愛されたい」とセンチメンタルモードになってしまう人もいるのでは? 「愛されたい」という願望は人間なら誰でも持つのが当たり前ですもんね。
では、実際に「愛してる」という言葉を言われたり、使ったことはありますか? ほかにも、「私にとっての真実の愛ってなに?」と考えたことじゃありますか? 歌や物語の中では良く聞くフレーズですが、実際には言ったことも、言われたこともない人がほとんどなのではないでしょうか。
そこで今回は、「食べる、歌う、愛する」の国で知られるイタリア人男性たちにアンケートをおこない、愛について語っていただきました。お題は、「どんな時に『愛してる』と言いますか?」と、「あなたにとっての真実の愛とは?」という2つ。正直、突然そんなことを聞かれても、真剣に答えるなんて恥ずかしいって日本人なら思いますよね?
しかし、イタリア人男性の愛に対する情熱は格別。一般人レベルでも、詩人のごとく「愛について」堂々と語る彼らの愛に生きる姿勢はさすがだと感心しました。はっきりと口に出さないことを美徳とする日本人にとっては何ともむず痒い話題ではありますが、「愛」という人類の永遠のテーマについてイタリア人の意見に耳を傾けてみましょう。
■「愛してる」は、どんなシーンで使われる?
まず、アンケート対象者全員が即答したことは、彼らにとって「愛してる(イタリア語でTi amo)」は愛し合うカップルのための言葉で、二人の愛を深めるためのツールに過ぎないということ。つまり、一方通行の恋愛感情においては使われません。親密な二人が、身も心も魂までも深く繋がっていることを確認するための最強ツール、それが「愛してる」を囁きあうことなんです。会話好きなイタリア人らしい発想ですね。
日本では、相手を想う気持ちの強さを最大限の表現するのが「愛してる」の言葉だという認識が強いように思います。だからこそ、使ってしまうと相手に重いと思われないか不安になり、なかなか口に出せません。イタリア人のように「愛してる」という言葉を、愛する二人のコミュニケーションツールだと考えたら、日本人ももう少しフランクに口に出せるようになるのかもしれません。
■愛に形はある?
「真実の愛とは?」という質問には、「愛はいつも僕の心の中にあるもの」「愛は人生そのもの」などの言葉をサラッと言ってのけました。筆者が強く感じたのは、彼らの言葉の裏には「愛によって自分がこの世に生を受けた」という感覚が共通認識として宿っていること。彼らにとって愛は身近なものだからこそ、毎日心で感じ、言葉で確認し合うものであり、映画や小説で語られる非日常ではなく、あくまで家庭で語られているものということ。
カトリックの教えである「愛」が彼らの骨の髄まで染み付いているということなのでしょうか。「真実の愛」について語る中で、多くのイタリア人が「家族」というワードを口にしたのも印象的でした。イタリア人は、自分が愛から生まれたように、自分も愛を語らいあえる大切な人を見つけ、家族を「育む」。
また、その大切な人との愛の日々で芸術や文学などの表現が「生まれる」。「愛」は内なる感情のひとつに過ぎないもので目には見えないものだが、「真実の愛」とは最終的に形に残るものを生み出す、「生命の親」であると考えているのだと思います。
最終的に哲学的な話も出てきましたが、イタリア人が愛に積極的な由縁が垣間見えたかと思います。愛から全ての命が生まれるという発想は、人や物に接することによってその対象に愛着を持つという日本人の習慣とは対照的だと思いました。
カトリックの聖人マザー・テレサさんの言葉に「愛は常に旬の果物で、誰の手にも届く所にあるのです」とありますが、もはやクリスマスまで祝うようになった私たち日本人が、果物を手に取るように当たり前に愛を語るようになる日が来るのでしょうか。ちなみに筆者の周りにそのような気配はまだまだありません。
photo by Scarleth White
(文/しらべぇ編集部・砂流恵介・辰巳真理)