【かわいい】先人から伝わる冬の越し方、東北の刺し子技術

2016/01/05 19:00


刺し子」は東北に古くから伝わる針仕事のひとつである。まだ布が貴重であった時代、小さな端切れも大事に縫い集めて、補修してボロ着にしたことが起源と言われる。

全国的に見られる文化だが、特に東北では、厳しい冬の寒さを乗り切るために、必要不可欠なものであり、各地域に根付いた。

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糸で形を紡ぎだし、独特の模様を描き出す「刺し子」もまた、地域ごとに独特の発達をした。貧しい時代に娘たちがおしゃれを楽しむために、細い糸で丹精込めて模様を描き出したのだろう。

きっと寒い冬を家の中で耐え忍びながら、春の訪れを待ちわびて刺し子技術を磨いたのだ。

刺し子を施した一張羅で「想い人」と出かけることを思い、腕によりをかけたのかな、と思いを馳せると、どんな時代にもその時代ならではの乙女心があったのかな、なんて微笑ましい気持ちにならないだろうか。

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東北で3大刺し子といわれるのは、青森県津軽の「こぎん刺し」、青森県南部の「南部菱刺し」、山形県庄内の「庄内刺し子」である。

岩手の大槌町は、今新たに「大槌刺し子」が誕生しつつある。

大槌で「刺し子」が親しまれるようになったのは、ほんの数年前からである。まだ文化とは言えないながらも、確かに今、町のおばあちゃんたちを中心に刺し子が少しずつ広がり、新しい「刺し子」が東北で生まれ、この地に根付こうとしている。

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なぜ、こんなにも刺し子が東北の小さな町に広がったのか。

その理由のひとつは、東日本大震災である。被災地の中でも甚大な被害を受けた大槌町の町民は、それぞれが家、家族・友人、仕事など大切なものを失い、途方に暮れた。

希望を見いだせない困難の中で、避難所の片隅で一心に手を動かし、無心になれる針仕事は気持ちの安定につながり、心のよりどころになった。

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そしてもうひとつ、大きな理由は、町の暮らしが刺し子文化そのものに重なったからではないだろうか。

そもそも刺し子とは、特別なものなのだろうか?と考えてみると、そうではない。

大槌には「刺し子」こそなかったものの、昔から針仕事は母親の大事な役割の1つで、穴の開いた服の補修をしたりボロ布で雑巾を作ることは、少し前まで当たり前に見られた風景だ。

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大槌だけではない。どんな田舎でも見られた風景だったはずだ。しかし今もその生活が根を張り、脈々と受け継がれる地は多くはないのではないだろうか。

大槌の人々は昔から伝わる生活の知恵を活かし、一日一日を丁寧に過ごす。年中行事には腕に撚りをかけた料理を作り、ご近所におすそ分けをする。

地道に、静かに、でも確かに育まれてきた生活である。これが、一針一針丁重に縫いすすめる刺し子と重なるのではないか。

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東京から7時間、海と山に囲まれた町、そこにあるものは、モノにあふれてはいないけど、目に見えない豊かさが静かに根付く生活と、その生活に寄り添い、今まさに育まれる文化「大槌刺し子」。足を運んで本物に触れてほしい。

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(写真・文/しらべぇ東北支部・I.Ito)

震災東北取材
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