震災から5年…被災した子供たちを支える教育者の言葉

2016/03/11 10:30


東日本大震災が起きたあの日から、5年が経過した。被災した子供たちは、その期間をどう過ごしてきたのだろう。

しらべぇ取材班は、東北地方内陸部の学校の校長先生と、沿岸部へ読み聞かせ慰問に通う志茂田景樹氏(直木賞作家・絵本作家)に話を聞いた。

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©仙台市

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■ 放射能にも苦労した東北地方の校長先生の言葉

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「今の中学 3 年生はあのとき、小学校4年生。屋外活動や多くのことを我慢してきた。子供たちは普段、震災を忘れたように頑張っているけれど、思い出せば今でも涙を浮かべる。


校長として、若い先生たちに伝えていることは『子供たちは震災を忘れてもいい。忘れることはできないだろうけど…。だけど、大人たちは忘れてはいけない。震災そのものも、辛い想いをした子供たちがいることも忘れてはいけない。卒業しても、その子たちをずっと見守っていかなければならない』と。


卒業する子供たちには、『よくがんばったね』と。辛いときに力になってくれた人への感謝は忘れてはいけない。だけど、自分が誰かから『ありがとう』と感謝してもらったことも忘れてはいけないよ、と伝えている」


東北3県に限らず、全国に散らばる被災した子供たち。状況もさまざまだが、本当に立ち上がるには、厳しい道のりは続くかもしれない。

しかし、子供が悲しみをこらえながら頑張れた背景には、周りの大人の大きな支えがあったのだ。


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■ 志茂田景樹氏が慰問した「沿岸の島」

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©宮城県観光課

志茂田氏は第三者の立場だが、被災地を訪れたときのことを次のように語っている。

「東北地方最大の有人島である気仙沼大島を初めて訪れたのは、2012年2月のことでした。


ここは大津波で島に31人の犠牲者がでました。しかも、気仙沼港のタンクから流失した重油が、海面を炎にして島にわたってきて、約4日間、北部の山林を中心に燃え続ける甚大な二次災害を引き起こしました。


この2月に再訪すると、津波と火災の荒々しい爪跡こそ拭われていましたが、集落が消えた浜辺は真新しい家がポツンポツンと立っているだけで、まだまだ更地が目立ちました」


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協力:志茂田景樹

また志茂田氏は、被災地が故郷である詩人・水上不二に触れ、復興についても述べた。

「水上不二は、僕が小学6年時に愛読していた『雑誌少年』に詩を連載していました。今回、僕が大島小学校で開催された『水上不二作品感想画コンクール』でプレゼンターをつとめ、不二の詩にまつわる思い出を語ると、子供たちは目を輝かせて聞き入ってくれました。


『郷土の詩人をこよなく愛する子供たちの志が、この島の復興に大きく寄与するに違いない』と僕は確信しました」


志茂田氏は昨年、震災で家族をなくした子供を思い『ぼくの天国ポスト』(絵本塾出版)を出版。

ぼくの天国ポスト
※画像はAmazonのスクリーンショット

これは涙活プロデューサー寺井広樹氏が、「もう会えなくなった人に思いを書くと届けてくれるポスト」として考案した『天国ポスト』をテーマにした絵本。

このポストは実際に、福島県と東京都に設置してあるそうだ。

(取材・文/しらべぇ編集部・大空美南

子供教育東日本大震災取材
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