【蔵元コラム】日本酒の歴史は神話にまで遡る! その技術にパスツールもビックリ?
みなさん、こんにちは。宮城県栗原市で「萩の鶴」という日本酒を醸しております、萩野酒造8代目蔵元の佐藤曜平です。今回は、酒造りの歴史の話をさせていただこうと思います。
8世紀初めに成立したといわれている古事記の伝えるところによると、高天原(たかまのはら)で乱暴を働き、追放された須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲国の肥の川の河上、鳥髪(とりかみ)という地にて八俣呂知(やまたのおろち)を退治するため、八塩折(やしおり)の酒を醸し、八つの門に酒船を置いたとあり、ここから古代に荒ぶる神を鎮めるため、神酒を用意するならわしがあったことが見て取れます。
また、8世紀前期の播磨風土記には「大神の御粮(みかれい)沾(ぬ)れてかび生えき、すなわち酒を醸さしめて、庭酒を献(たてまつ)りて宴しき」と麹の力を利用した酒造りの記載があり、今日の酒造りの原型がそこにあるかと思われます。
中世になると、今日の酒造技術の原型がほぼでき上がります。嘉吉年間(1441-1444)の文献には、奈良菩提(ぼだい)山正暦寺で今日の酒母の原型となる、少量の蒸米、麹、生米、水を用いて仕込む「菩提もと」とよばれる手法が記載されておりますし、1570年ごろの「多聞院日記」に酘(とう)とよばれる、菩提もとを母体として3度に分けて蒸米、麹、水を加えて仕込み、大量のもろみを得る、現在の三段仕込の原型が記されております。
火入れ(低温殺菌)も同じく「多聞院日記」に記載がありますが、フランスのパスツールが低温殺菌法を発明する300年も前に、経験的にそうした技術が確立していたということは、当時の日本が極めて高い微生物制御技術を(知らず知らずのうちに)有していたと言えます。これらは、寺で造られた僧坊酒(そうぼうしゅ)といわれるお酒の製造手法で、この時代には寺院が酒造技術をリードしていたことが見て取れます。
ということで、長い歴史と先人達の努力と創意工夫があったおかげで、現在の日本酒が存在しています。有り難いことですね。
では、現代の日本酒の定義を見てみましょう。(※日本酒=清酒です。業界では一般的に「清酒」と表記します)
~清酒の定義 酒税法第三条七号~
清酒は次に掲げる酒類でアルコール分が22度未満のものをいいます。
(イ)
米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの
(ロ)
米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させて、こしたもの。その原料中当該政令で定める物品の重量の合計が米(こうじ米をふくむ)の重量の百分の五十を超えないものに限る
(ハ)
清酒に清酒かすを加えて、こしたもの
前回お話した、少ないながらも少しずつ消費量が伸びてきている「純米酒・純米吟醸酒」は「イ」に分類されます。「ロ」と「ハ」はここでは割愛します。
日本酒は原料を酵母によってアルコール発酵させ、蒸留などの作業を経ずに作られた「醸造酒」に分類されます。主な醸造酒と主要原料は以下の通り。
■日本酒:米
■ワイン:ぶどう
■ビール:麦
パッケージがよく似ている焼酎は、ウイスキーやブランデー、泡盛と同じカテゴリーの「蒸留酒」に分類され、味も製法も全く異なるものです。
米の国、日本。米から造られる日本酒は、まぎれもなく私達の「國酒」です。そう考えると、いつもとはちょっと違う味わいを楽しめるかもしれませんね。
出典:メルマガみやぎ 第259号(2009.6.26) みやぎのおいしい地酒…お酒造りの歴史 橋本建哉
(文/萩野酒造・佐藤曜平)