みんなの応援隊長!浅草橋名物「ガッツおじさん」の誕生秘話
浅草橋駅東口、午前8時。ホームから続々と階段を降りてくる人に向かって「ガッツ!」「今日も元気に頑張っていきましょう!」と声高らかにエールを送っているのが、通称「ガッツおじさん」である。
浅草橋でガッツおじさん見た。今日はいいことありそうな気がする。
— マリオ (@MaruMaririn) 2016年2月9日
水曜日はガッツ( ;^^ω)#浅草橋 #ガッツおじさん #たいこ茶屋 pic.twitter.com/jCVVtIhkwW — みくみく(゚∀゚ )ノ (@miku_2) 2016年2月16日
しらべぇ取材班は、巷を賑わせているそんな名物おじさんに突撃取材を決行した。
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■その正体はおさかな本舗「たいこ茶屋」の店主
ガッツおじさんの本業は、浅草橋駅東口から徒歩7分の場所にある居酒屋の大将。毎朝築地に出向き新鮮な魚介類を仕入れ、店主として店を切り盛りしている。
そして毎週水曜日に朝7時半~9時まで、駅前で人々にガッツを注入しているのである。
今やテレビ局からの取材も受けるほど、有名になっているらしい。そもそも、どうしてこんな活動を始めようと思ったのか? その背景には、ガッツおじさんの壮絶な過去があったのだ。
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■経営失敗の苦難…「ガッツおじさん」誕生秘話
バブル全盛期、たいこ茶屋は全8店舗まで拡大し、その経営も順調だった。しかしバブルが崩壊し経営難に陥り、残ったのは現在ある1店だけ。多額の借金を背負ってしまったのである。
そこで救いの手を差し伸べてくれたのが、高校時代のサッカー部仲間。経営を立ち直すための資金を借り、そこから何としてでも店を守る、仲間に恩返しをする、と一心不乱に働いた。
そんな中はじめたのがチラシ配り。周辺の駅で行うも、誰ももらってくれない。そして試行錯誤の末、自身への叱咤激励の意も込め「ガッツ!」と言ってチラシを配った。
すると相手が「にこっ」と笑顔でチラシを受け取ってくれたのだという。それを機に「ガッツ」と呼びかけながらチラシを配り、全く減らなかったチラシが1日に1,000枚も配れるようになったのだ。
これが「ガッツおじさん」のはじまりである。
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■警察に通報?!それでも絶えないファンの人気
「もう20年ほど続けております。中には、ごくまれですが『うるさい!』とか、『じゃま!』とおっしゃって立ち去る方もいらっしゃるのですが、大半の方は笑顔を返して下さいます(その方には心の中で、ごめんなさいとあやまっています)」
(おさかな本舗「たいこ茶屋」HPより)
朝の混雑時、大きな声で呼びかけるその行動をよく思わないという人も中にはいる。ある時、警察に通報されたこともあったのだそう。
それで一時はガッツ活動を休止することになったのだが、「毎週楽しみにしていたのに」「元気をもらいたい」と50人以上の人から再開を望む声を聞き、ガッツ活動が復活、現在に至っている。
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■故郷の仙台でマグロ解体ショー開催
震災を機に「被災地を盛り上げよう」と、ガッツおじさんは出身地仙台を中心に「マグロの解体ショー」を開催している。取材班が突撃した前の週末も行ってきたのだとか。なんと通算28回目。
今では各地からオファーがあるそうで、仙台だけでなく岩手や福島にも赴き開催しているとのこと。震災5年目を迎えたが、これからもこの活動は続けていく予定だ。
解体ショーのときに行なう「ガッツ8段締め」というコールも名物らしい。被災地に「ガッツ」、浅草橋に「ガッツ」、ガッツおじさんは今日もどこかで人々を元気づけていることだろう。
(取材・文/しらべぇ編集部・かずきち)