アントニオ猪木 とは
アントニオ猪木は、元プロレスラー、実業家、政治家。1943年2月20日生まれ。神奈川県出身。
13歳の時に貧困を抜け出すため家族とブラジル・サンパウロ市に渡り、農場で少年時代を過ごす。陸上競技選手として現地の大会に出場し、ブラジル遠征中の力道山の目に留まる。
1960年、力道山から直接スカウトされて日本へ帰国し、日本プロレスに入団。本名の「猪木寛至」として大木金太郎を相手にデビュー。
1962年、長沢秀幸との試合でリングネームを「アントニオ猪木」に改名。デビューしてから間もなく力道山の付き人となるが、力道山が1963年に死去。
1964年、アメリカに渡り、リングネーム「リトル・トーキョー・トム」などで武者修行。
1966年、ジャイアント馬場や吉村道明らとの合同練習に参加するために立ち寄ったハワイで豊登に口説かれ、日本プロレスから離脱。帰国後に自身をエースとする豊登と「東京プロレス」を設立するが、営業不振や豊登の横領などにより破産し、日本プロレスに戻る。ジャイアント馬場とのタッグチーム「BI砲」としてインターナショナル・タッグ王座を獲得。
1971年、日本プロレスとの度重なる確執から追放処分を受ける。女優の倍賞美津子と結婚(~1987年)。
1972年、「新日本プロレス」を旗揚げ。WWWFと提携して多数の外国人スターを呼び、自身の最強を証明するため異種格闘技路線への挑戦を続けるなど、力道山亡き後のプロレス黄金時代と後年の総合格闘技の礎を築く。
1982年、沖縄松林流空手東海支部長の水谷征夫とフルコンタクト空手の団体「寛水流空手」を設立。「タイガーマスク」のキャラクター使用料未払いを理由に、漫画原作者の梶原一騎により監禁される事件が発生。
1983年、世界統一タイトルを目指しIWGPを立ち上げるが、第1回優勝戦でハルク・ホーガンの攻撃で失神KO負け。
1986年、プロボクシング団体日本IBFと業務提携開始。
1988年、IWGP挑戦者決定リーグ戦で時間切れの引き分けとなり、最後のIWGP挑戦となる。
1989年、スポーツ平和党を結成し、「第15回参議院選挙」で初当選して史上初のレスラー出身の国会議員(=参議院議員)となり、「猪木チャリティーテレホン」(ダイヤルQ2)など政治活動を行う。
1994年、グレート・ムタに勝利し、引退への布石となる「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が開始。
1995年、「平和のための平壌国際体育・文化祝典」でリック・フレアーに完勝。自主興行「INOKI FESTIVAL」を開催。
1998年、引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」で行われた引退試合でドン・フライに勝利して引退。以降はUFO、PRIDE、INOKI BOM-BA-YEなど、多くの団体やイベントに盛り上げ役として登場し、完全プロデュースによる「ジャングルファイト(MMA/VT)」をブラジルで開催。
2003年、日本テレビ協賛で開催した「イノキボンバイエ」が大失敗し、格闘技プロデュースから退く。
2005年、新日本プロレスの株式を売却し、事実上新日本プロレスの経営から身を引く。
2006年、アメリカの新興総合格闘技団体IFLの世界大使に就任。IFL参戦のため監督を務める東京サーベルズを結成。
2007年、社長(後に会長)を務める新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」を発足。TRIPLE-Pと「TRIPLE-P vs. アントニオ猪木」を組み、名言「道」を曲にして発売。、政治団体解散届を総務大臣に提出。
2010年、WWEが猪木のWWE殿堂(WWE ホール・オブ・フェイム)顕彰を発表。「INOKI BOM-BA-YE」を復活させ、「Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜」のプロデューサーとして大晦日興行に復帰。
2012年、中国・上海で新団体「上海愛武」を旗揚げ。キューバ友好勲章を授与される。
2016年、会派「無所属クラブ」に異動。
2017年、プロデュースする新イベント「ISM」の旗揚げを発表。『INOKI ISM.2』で自身の生前葬を行う。
2019年、1979年の「夢のオールスター戦」以来、初めて『ジャイアント馬場没後20年追善興行』に来場。
最終更新日:2022-11-18 18:01:05
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