東国原英夫 とは
東国原英夫は宮崎県出身の政治評論家、タレント、元政治家。宮崎県知事(公選第17代)、衆議院議員(1期)を務めた。1957年9月16日生まれ。身長174cm、血液型B型。
ビートたけしに師事し、たけし軍団の一員としてタレントデビュー。『そのまんま東』の芸名で活動。政界入り後は本名「東国原英夫」名義で活動しており、各メディアにも本名で出演している。
1980年にフジテレビ『笑ってる場合ですよ!』のお笑いオーディションコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て、1982年3月に付き人となる。
現在までに数多くいるたけしの弟子の第1号である。その後、相方の芸能界引退に伴いコンビは解散。
丸山昭範と3ヶ月だけという約束で「ツーツーレロレロ」というコンビを結成。3ヶ月後に大森うたえもんとコンビを組み「ツーツーレロレロ」を続ける。
1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消。
1986年12月9日にビートたけしに率いられてたけし軍団と共に講談社を襲撃、暴行罪で現行犯逮捕されたが不起訴処分となる。
1987年に不祥事で芸能活動自粛中に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーとなり、1988年にTBSでドラマ化され、東国原自身もたけし軍団の面々と共に出演。
2006年に本人を代表とする政治研究会「そのまんま会」を設立。その後、所属していたオフィス北野を退社。
官製談合事件で当時の現職知事・安藤忠恕が逮捕されたことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補し、当選。
宮崎県知事就任後は、「ふるさと納税」・「道路問題」・「ムダゼロ会議」等に地方代表として選ばれたり、テレビ等にも多数出演することで地方行政をリードし、常に地方の代表として全国に情報を発信し続け、数々の賞を受賞した。独自の感性を政治行政に活かし宮崎県を改革。
特に宮崎県の観光PRを通じ、改革派の知事として県政の発展に尽力し高い評価を得た。
2007年1月23日の知事就任直前に清武町で、直後に日向市、新富町でそれぞれ鳥インフルエンザが発生した。この状況に素早く対処すべく、1月29日に中央省庁を訪れて国からの財政支援などを要請した。
また、所信表明演説で述べた「宮崎をどげんかせんといかん」というフレーズが話題となり、2007年の流行語大賞を受賞した。
2008年1月20日に「新しい日本を作る国民会議」(21世紀臨調)を母体とする「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」の設立に発起人として参加。
県民支持率は常に90%を超え、2期目の当選も確実視される中、口蹄疫被害の責任を取る形で2011年1月20日の1期目の任期を満了にて退任。
2011年2月10日に政治団体「英(はなぶさ)の会」を設立。同年4月に実施の2011年東京都知事選挙へ立候補し、1,690,669票を集めたが、前職の石原新太郎知事に90万票強の大差を付けられ落選。
2012年12月に行われた第46回衆議院総選挙に日本維新の会から比例近畿ブロックに出馬、比例単独の名簿順位1位として落選した。
2013年2月に国会デビューとも言える予算委員会初質問に立った。同年10月8日に日本維新の会の広報委員長に就任。同年12月17日に「日本維新の会の原点である理念、政策、方向性が変質・変容している感が否めない」として党を離党し議員辞職した。
2014年9月に一般女性と再々婚し、2017年10月に男児が誕生している。
現在は衆議院辞職後は政治家としての活動から一線を退き、報道・情報番組に評論家・コメンテーターとして出演したり、タレントとしてバラエティ番組にも数多く出演している。
最終更新日:2021-02-28 19:32:27