蛭子能収 とは

蛭子能収は、漫画家、タレント、エッセイスト。1947年10月21日生まれ。ファザーズコーポレーション所属。

高校時代に美術クラブに所属してグラフィックデザインに出会い、横尾忠則、宇野亜喜良、粟津潔、亀倉雄策、佐伯俊男に影響を受ける。

1965年、地元の看板店に就職して同僚が主宰する漫画サークルに参加。

1968年、漫画雑誌『ガロ』の増刊号「つげ義春特集」を読み『ねじ式』に感銘を受け、1970年に無断で上京。

1972年、第1子の誕生と結婚。

1973年、『ガロ』の発行元・青林堂に漫画を持ち込み、2作目で編集長の長井勝一に才能を見出され、『月刊漫画ガロ』入選作の『パチンコ』でプロの漫画家としてデビュー。

1974年、第2子が誕生を機に、有限会社ダスキン練馬のセールスマンになり、1976年に『ガロ』へ『愛の嵐』を掲載以降は執筆を休業。

1979年、伝説的自販機本『Jam』掲載の『不確実性の家族』で再デビュー。

1980年、『Jam』終刊号に代表作となる『地獄に堕ちた教師ども』を発表し、1981年には初単行本化されたのを機にダスキンを退社して、漫画家として独立。アンダーグラウンドなカルト系自販機雑誌で数多くの連載を持つ。

1982年、スーパー変態マガジン『Billy』のインタビューに顔出しで登場。ニューウェーブ系漫画家の一人として『宝島』『平凡パンチ』などへも進出し、「ヘタウマ」の作風で注目される。

1983年、日本を代表するハードコアパンクバンドやノイズミュージシャンのジャケットを手掛けるようになり、1985年には田口トモロヲのロックバンド「ばちかぶり」のインディーズ1stアルバムのジャケット画を担当。

1987年、柄本明の依頼で劇団東京乾電池の公演『台所の灯』に出演し、フジテレビプロデューサー・横澤彪の目に留まり、『笑っていいとも!』に文化人枠でレギュラー出演。ドラマ『教師びんびん物語II』への出演を機に、バラエティ番組出演などタレント活動を本格的に開始。

1997年、『ガロ』が休刊し、新たに創刊された漫画雑誌『アックス』で特殊漫画家・根本敬や青林工藝舎の高市真紀らと共作活動。

2003年、短編映画『諫山節考』で映画監督デビュー。

2008年、根本敬からの依頼で漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」、2010年には国際特殊機関「ハッテンバプロダクション」を結成。

2011年、長崎歴史文化博物館で初の個展『えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-』を開催。

2014年、エッセイ『ひとりぼっちを笑うな』を上梓。

2016年、長編映画初主演となる任侠映画『任侠野郎』に出演。

2019年、府中市美術館で開催された「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」で、現代のヘタウマ漫画家の代表として作品が展示される。

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最終更新日:2017-11-20 16:00:22


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