【真田丸】大坂城がオーストリアに?屏風絵が語る豊臣時代
大河ドラマ『真田丸』は、いよいよ大坂の陣に突入。
じつのところ、大坂城については今も謎が多い。出城自体も、構造がどのようになっていたのか未だはっきりしない。それは大坂の陣ののち、徳川が豊臣家にまつわる遺構を消し去ってしまったからという背景もある。
大河ドラマでも、内野聖陽演じる徳川家康は粘着質な性格に描かれ、真田昌幸・幸村親子を「絶対に許さない」と言い切っている。実際の家康も、恩は忘れないが恨みも忘れないタイプだった。こういう人物を怒らせると非常に怖い。
だから、江戸時代に豊臣の治世を詳しく語ることはタブー。秀吉が生きていた頃の大坂城の姿も、いつの間にか忘れ去られてしまった。
だが、「失われた大坂城」の面影は海外にある。
■大坂城の絵がオーストリアに
オーストリアの歴史都市グラーツの近郊に、エッゲンベルク城がある。17世紀前半に造られた、近世ヨーロッパを代表する建築物だ。世界文化遺産にも指定されている。
2006年、このエッゲンベルク城の一室が日本の歴史学者の度肝を抜いた。ここの壁に飾られている「東洋風の絵画」が、じつは秀吉生存時の大坂城を描いた屏風だと判明したのだ。
この屏風は、おそらく17世紀中葉にオランダ船が輸入したもので、江戸期の大坂城にはすでに存在しなかった建物や装飾などが表現されている。安土桃山時代に描かれた下絵から、この屏風が制作されたのではないかという説もある。
いずれにせよ、豊臣期の大坂城の姿が細かく描かれているのはこの屏風だけ。それをエッゲンベルク家の当主が代々守ってきたのだ。
注目すべきは、極楽橋である。豊臣期の極楽橋には豪華なデザインの屋根が施されていたのだ。そうしたことが、エッゲンベルク城の屏風から確認できる。
■戦火をくぐり抜ける
とにかく大坂城は、豊臣家の「富」を象徴するもの。16世紀に日本で活動した宣教師ルイス・フロイスも、その豪華絢爛さを記録している。
だが画像史料に関しては、極めて数が少ない。エッゲンベルク城の屏風も、現存していること自体が奇跡と表現してもいいほどだ。
17世紀中葉以降、オーストリアは何度も大戦争に巻き込まれている。目ぼしいものだけを取り上げてみても、大トルコ戦争、オーストリア継承戦争、ナポレオン戦争、普墺戦争、そしてふたつの世界大戦。
第二次大戦時にソ連軍の略奪に遭わなかったことも奇跡だが、それ以前にもしこの屏風の価値が早くから知られていたら、ナポレオンとヒトラーが黙っていなかっただろう。このふたりは侵略した先々の美術品を我が物にしていた。とくにナチス・ドイツが略奪していった美術品は、未だに行方知れずのものが多数ある。
そうした意味でも、エッゲンベルク城の大坂城屏風は「人類の至宝」ともいうべき遺産なのだ。
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■謎だらけの大坂城
今後、この屏風の研究が進めば「いにしえの大坂城」の全容が明らかになっていくだろう。
逆に言えば、今の時点ではまだこの城は謎のベールに包まれているということ。秀吉の夢の結晶がどのような姿をしていたのか、それを解明する余地はまだまだある。
我々の知らない「秘境の都」が、すぐ身近に存在するのだ。
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