【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】「御」を外すと答えが見えてくる
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しらべぇ読者のみなさん、こんにちは。先週から連載を始めさせて頂いたハイパーメディアフリーター・黒田勇樹です。
このコラムでは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
前回は「おなら」に関することを書かせていただきましたが、この「おなら」というのは「ぷぅと鳴る」の「鳴る」が「鳴り」となり、それを丁寧に「御」とつけて「御鳴り」、さらに訛って「おなら」となりました。
奈良時代の公家言葉が町民のところに降りてくるとき、町民たちが「公家の方々と同じ言葉を使うなど滅相もない」と、へりくだるために付けられ始めたのが「御」という説が有力なようです。 公家の方々が「ぷぅ」としたときに「なりじゃ。尻からなりが出たぞよ」とか言っている時に、家来たちは「○○様が御鳴りを御尻から御出しになられたぞ」などと言っていたのでしょう。
このへりくだった「御」の使い方で面白いのが、「おみおつけ」。 元々はお吸い物のことを「つけ」と呼んでいたのですが、公家が食べるものを町民がそのまま頂くわけには…ということでへりくだって「御つけ(おつけ)」 →「御つけ」でもへりくだり足りなくて、もう一個つけて「御御つけ(みおつけ)」 →さらにへりくだって「御御御つけ(おみおつけ)」となったそうです。
この「御」を取ることで本質が見えてくる言葉は、他にも沢山あります。 例えば「お父さん」「お母さん」に並んでよく使われる言葉、「おじさん」。「お父さん」「お母さん」は「御」を取っても「父さん」「母さん」と意味が通じますが、「おじさん」は「御」を取ってしまうと「じさん」。
親の兄弟を意味する「叔父(もしくは伯父)」に「さん」をつけたのであれば「おじさん」だけ「御」がついていないことになります。 「御父さん」「御母さん」なら「御叔父(伯父)さん」、つまり「おおじさん」と呼ばれなければいけないはずです。
なぜ「叔父(伯父)」だけ「御」を付けてもらえないのか? 「叔父(伯父)さん」だけ、迫害されているのでしょうか?様々な考察の結果、筆者はひとつの答えにたどり着きました。
それは「持参(じさん)」!
親の兄弟でも血縁関係でなくても「おじさん」と呼ばれる人種が存在することに着目してみるとひとつの共通点が見つかります。 その多くが「気のいい中年男性」だということ。 彼らのほとんどが、人の家に遊びに行くときに寿司や酒、時にはトップスのチョコレートケーキなどを、お土産として「持参」します。
昔の子供たちが、この中年男性たちのことを「わーい!持参だ!お土産を持参してきた!」と喜んだところに、親が「持参、持参て失礼でしょ!御をつけなさい!御を!」となって「御持参!御持参!」と呼び始めたのが語源なのではないでしょうか?
世の中の中年男性の皆様、敬って「御」をつけて呼んでもらうためにも、友達の家に遊びに行くときはお土産を「持参」しましょう。 筆者もそろそろやり始める時期かな…。
「御」を外すと言葉の本質が見えてくる。 そんな考察でした。
(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)