川奈まり子の実話系怪談コラム 虫と傷痕【第四夜】
川奈まり子氏による「実話系怪談」連載。
ある日、私は1人のAV女優に引き合わされた。私と同じ年頃、似通った背格好、整った顔立ち。一見とても美しい彼女の体には無数の傷が刻まれていた。そして、おぞましい出来事が起こった。
AVデビューから1年ほど経ち、企画系ながら主役を務めた作品がヒットして、主演作品が多く撮られるようになってきた頃のこと。たしか5月ぐらいだったと思うが、都内のハウススタジオで、助演してくれるAV女優に引き合わされた。たいへんな美貌の持ち主で、はじめ私は、こんな美人をさしおいて主役を演じるのは恥ずかしいと思った。
しかし間もなく、彼女の体には大きな傷痕があることがわかった。AV女優同士は羞恥心が薄く、着替えのときなど自分の裸を隠さない場合が多い。私も彼女も、ごく自然に全裸をさらして――そして私は彼女のお腹に大きな十文字の傷痕があることに気づいたのだった。
青白い肌に無残に刻まれた痕。鳩尾から恥骨の上あたりまで縦に走る縫い目と臍の下あたりを横に走る縫い目とがクロスしていた。縫い目はところどころ引き攣れ、白く凹んだところもあれば赤黒く盛り上がったところもあった。
気の毒に感じると同時に、どうしてこの人が裸を人目に晒す職業に就いているのか理解できないと思った。彼女自身も辛いだろうし、こういう女性をAV女優として使いたがる人がいるというのも不思議な気がした。
だから彼女が羽織っていたガウンの前を開いて、「こんなになってるんですけど、いいですか?」と監督に訊ねたときは、やはりと思った。監督はあっけに取られ、次いで、嫌悪感もあらわに「困ったな」と呟いた。
すると彼女は場違いな笑顔になり、「そうですよねぇ。困りますよね。おまけに、ここも、こんなふうになってるんです」と言って自分の脚を指さした。少し離れた場所で衣装を試着しかかっていた私も思わず釣り込まれ、彼女のお腹から、脚に目を移した。
彼女の2本の脚全体が、小さな傷跡で埋め尽くされていた。ランダムに刻まれた細く白い糸のような切り傷の痕が、皮膚を覆っている。そんな自らの脚を愛おしそうに撫でまわして監督に見せつけている。
監督は厭そうに顔をしかめた。そして彼女に「代わりの人が来るまでここに待機してて」と言って、不機嫌そうに部屋を出ていった。それまで周囲にいたスタッフたちも皆監督に呼ばれて席を外してしまい、私と彼女だけが部屋に取り残された。気まずさを感じた。……と、突然、彼女がクルッと首を回して私の方を向き、大きく目をみひらいた。
「あーっ!」
「な、何?」
「川奈さんは体に全然キズが無いんですねぇ。借金とかも無いんですかぁ?」
「えっ、借金? 無いけど……」
私は口ごもった。借金? 傷跡と何の関係が? この人は頭がヘンなのだと思い、無防備な裸を彼女に晒していることが急に怖くなった。彼女から目をそらして慌てて自分の服を身につけはじめた。
「服、着ちゃうんですかぁ? 大丈夫ですよぉ。伝染らないから安心してください。でも借金は怖いですよぉ。虫に用心してくださいね」
借金の次は虫。わけがわからなくて気持ちが悪い。おまけに、ふと見ると、いつのまにか彼女は右手に小さな眉切りバサミを持っていて、それで自分の左手の親指の爪の間を抉っていた。
「あーっ、これ? 気にしないでください。ただの虫ですから。ネイル付けてるから傷はわかりませんし。こんな私ですけど、仲良くしてもらえますか」
コカインなどの薬物に中毒すると、蟻走感といって、虫が皮膚内を這う体感幻覚に悩まされることがあるという。そのため体を掻きむしったり、場合によっては自ら刃物などで皮膚を切り苛んだりするそうだ。この女もその類だろうと思ったのだが。
そのとき、部屋の真ん中に突っ立っている彼女白い足の甲に赤茶色の点が散らばっていることに気がついた。点々が蠢いている。赤蟻のようだ。よく見たら、足首にも脛にも蟻が這っている。本当に虫がいる!
「虫は厭ですねぇ」と笑いかける彼女に背を向け、私はトイレに行くふりをして逃げ出した。
あの虫にとりつかれたら、私も自分の体を切り刻みたくなるのだろうか。あのお腹の十文字の傷も、もしかしたら自分で……? いやいや、虫にとりつかれるだなんて、そんな馬鹿な。そう思いながらも、怖くて部屋に戻れなかった。
幸いすぐに彼女は帰されて、間もなく代わりの女優が来た。明るくて感じの好い人でホッとしたのも束の間、私は彼女の頬にポツンとある赤い点が蠢いていることに気づいてしまった。
「そこに、虫が」私は恐る恐る彼女の頬を指さした。
「厭だ」と言って彼女は手で頬を払った――その手首に何条ものリストカットの痕があった。
それからしばらくの間、私は小さな虫に怯えながら過ごした。虫にとりつかれて自分の体を切り刻むのは御免だ。
(文/川奈まり子)
(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部)