【川奈まり子の実話系怪談コラム】蔵と白覆面【第八夜】

2015/02/04 17:00

しらべぇ0118川奈まり子

今の目黒不動尊のあたりは江戸時代には処刑場があった所で、斬首も行われていたそうだ。

斬首された首なし死体を目黒川に落として、品川の河口から東京湾に流していたというのは事実だろうか。そういう説もあるが、ちょっと信じがたい。けれど、目黒川沿いには心霊現象がよく起こるとされているから、そんな話もひょっとすると本当かもしれないと思えてくる。

私が実際に知っている目黒の幽鬼は、白い布で顔を隠している。

福岡県福岡市東区志賀島に志賀海神社というお社がある。「海の民」を統率する神社といわれ、宮司の阿曇氏は、古代日本を代表する「海神族」として知られる。目黒の幽鬼は、そこの御神幸祭で舞われる「磯良の舞(別名「羯鼓の舞」「細男(せいのう)の舞」)」の主役、磯良に似ていた。

磯良の舞の舞い手は、額の上部、髪の生え際のあたりにグルッと細い白帯を巻きつけて、そこから白い布を顔の前に垂らす。布の長さは、顎の先が完全に隠れるぐらいだ。

つまり、白い布で目も鼻も口も隠れるように顔全体を覆ってしまう。目だけ出したり、目のところに穴をあけた仮面をつけたりする舞踊はあるが、こんなのは珍しい。

これはまた、江戸時代の斬首刑を描いた図に、たまに、これから首を斬られる者の顔を白い布で覆っているのがあるが、あれにも似ている。

ちなみに、「磯良の舞」の舞い手が演じているのは「安曇の磯良」で、白布で顔を覆って隠す理由には諸説あるが、一説によると容貌がたいへん醜かったからだと言われている。目黒のその邸の霊の顔も醜悪なのかどうか……。

それはわからないが、ともかく、顔の隠し方が安曇の磯良そっくりで、志賀海神社の御神幸祭で撮られた写真を見たときは思わず膝を打ってしまったほどだった。

「それ」が棲むのは、目黒のどこにある何のための建物かは、言いたいけれど言えない。

私が「それ」を見た直後、同じく「見た」と言う仲間と、「それ」がどんな姿だったか報告し合っていたところ、建物の持ち主が私たちの声を聞きつけてやってきた。そして、怖い顔で「おかしな噂を立てるな。場合によっては訴えてやる」と言ったのだ。脅された、と言ってもいいかもしれない。

「無責任にへんなことを言うのが多くて本当に困ってるんだ。営業妨害だぞ」

今でも、あのときの邸の主のおっかない顔が思い浮かぶ。

そういうわけなので、そこに行った経緯などは話せないけれど、どんな建物で、「それ」がどんな姿だったのかぐらい書いても構わないだろうと思う。ちなみに「それ」を見た者は私が知るかぎりでも1人や2人ではないから、これを読めばどこのなんという建物なのかわかってしまう人もいるに違いない。

でも、「××ですよね?」と問われても、私はしらを切るつもりだ。人が心底嫌がっていることを、するもんじゃない。

それに、あの脅し方から察するに、邸の主人も噂の元を知らないわけではなさそうだ。知っていて、あえて「それ」と共存しているのだとしたら、邪魔をしてはいけないと私は考える。

――そこは今時、ましてや都心部には珍しい古い日本建築の邸で、大正時代に建てられたというが保存状態は極めて良い。建て坪が百坪以上もある贅沢な平屋であり、外観も室内も、日本人ならば誰でも見れば郷愁を掻き立てられる風情だ。

門構えも庭も純和風で、たいへん立派で古めかしいという以外におかしなところはない。ただ一ヶ所をのぞいては。

どこが風変りかというと、家の中に、蔵の扉があるのだ。蔵と家がドッキングしていて、鋳鉄の箍をはめた重くて大きな両開きの扉が、周りを取り囲む白壁ごと、一階の廊下の突き当たりの一方の壁についている。白い布で顔を隠した「それ」が現れるのは、きまってその扉の正面だった。

伝統的な日本家屋の常として薄暗い廊下。その奥に、右を向いて正座している人影がある。性別ははっきりしない。女だと言う人もいたが、私は男のような気がした。身長164、5センチの私とほぼ同じぐらいの体格で、胸が薄い。

死人のような白装束。そして顔を白い布で隠している。黒髪を一本結びにして背に垂らして。端然とした美しい座り姿で、布越しに土蔵の扉を凝視しているように思えるが、顔は見えないから、視線の行方は本当にはわからない。

目を閉じているのかもしれない。近づくと、こちらを向く。それでもやっぱり顔はわからない。布の口もとのあたりが呼吸に合わせて前後に揺らめいている――人ならぬものでも息をするらしいと私は思った。

何か言っているのかもしれなかったが、声は聞こえなかった。そしてフッと消えてしまう。

消えたあとは、座っていたあたりがひどく暗く感じられた。白装束には闇を祓う力があるのか。単に白という色に、あたりを明るませる効果があるだけかもしれないが。いなくなった後に、「それ」は仄かに光るようだったな、と思った。

そういうわけで、ようするに「それ」はあまり怖くない。怖くないので、亡者の霊ではなく、安曇の磯良のように神様の類なのかもしれないという感じもする。もちろん処刑場があった土地が近いという場所柄、斬首された人の霊かもしれないとも思うが、だったらどうしてそれが蔵の前に出てくるのか。

もしも首を落とされた罪人の幽霊なら、首を斬ったあとの体を投げ捨てたとされる目黒川のほとりにでも出た方がいいではないか。蔵の前では辻褄が合わない。

あの蔵が「内蔵」と呼ばれるものらしいと知ったのはつい最近のことだ。秋田県の増田町というところには江戸末期から大正にかけて建てられた「内蔵」群が今も残っているという。

江戸の終わり頃から大正時代にかけて栄えた秋田の商人たちは、町家を改築して、大きな店舗と主屋を合体させ、さらに、母屋の奥に蔵も建造するようになった。それが「内蔵」で、町家の奥に造られるため、通りからは見られず、その存在を知るのは家の関係者だけだったとか。

調べてみたところ、秋田県でのようにはポピュラーではないが、かつては東京にも内蔵のある家があったようだ。浅草の「土蔵Bar」は 、1868年(慶応4年/江戸時代末期)材木問屋の内蔵として建てられた土蔵を、有志のアーティストたちが再生したアートスペース兼バーという。

店内写真を見ると、目黒の邸の蔵にあった仄暗く侘しいような情緒は欠片も無く、とても今風のお洒落な若者向けの空間としか見えない。

――きっと今も蔵の前に正座してるんだろうなぁ。

そう思うと、少し可笑しい。

何度も言うようだが、斬られた首を探して目黒川付近をうろついていたら、もっと恐ろしいのに。

(文/川奈まり子

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