【人と猫が引き離された村】原発事故から4年「子猫」たちはどう生きてきた?
上村雄高さん。職業はカメラマン。
前回の記事、『原発事故から4年、変わらぬ状況は「人災」か…孤立した福島・飯舘村の猫たち』でもお伝えしましたが、上村さんは、福島県飯舘村で野生動物が猫や犬を襲う事態が頻発しているのを傍観できず、数十回にわたって村を訪れている。
今回は、上村さんが飯舘村で保護した猫、米太郎の話を中心に、飯舘村の犬や猫の現状をお伝えします。
原発事故の影響で、震災以前のように自由に暮らせなくなってしまった飯舘村には、およそ200頭の犬、400匹の猫が取り残されている。
他の自治体では、避難場所に犬や猫の同行避難が可能だったのに対し、飯舘村では許可をしなかった。
上村さん:ボランティアの皆さんが犬や猫のいる場所を把握して、餌場を作ってフードを与えたり、避妊・去勢手術を行ったりしています。
人の営みがなくなった飯舘村では、野生動物が残された猫を襲う事態が頻発しており、死んでいくために生まれる命を増やさないためです。同時に、保護して里親を探す活動も行っています。
「かわいそう」と言って見ているだけでは何も変わらないとの思いで、上村さんもこれまでに4匹の猫の里親になり、さらに5匹の猫を保護して里親を探してきた。
▲マメ:ケガをしたことがきっかけで保護され、シェルターで暮らしている。ケガが治ったら東京の里親の元に行くことになっている。
上村さん:マメは1200日以上も一匹で暮らしていたので、再び人と暮らせると思えば喜ばしいことです。
ただ、マメを手放さざるを得なかった飼い主のことを考えると、猫一匹すら飼えない理不尽さを強く感じます。村でマメと一緒に震災前と同じように暮らしたいというのが本心だと思います。
除染が終わっても、依然として放射能レベルが高い。
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■保護された子猫 米太郎
▲米太郎(現在)
2014年に生まれた。飯舘村は時間の経過とともに、野生動物が人の生活圏だった場所に勢力を広げていることもあり、人のいない土地で子猫が無事に育つのは非常に難しくなっている。
上村さんは米太郎を保護して里親を探すことにした。米太郎という名前は「毛色から純白のお米を連想したことと、彼が米農家の納屋を根城にしていた」ことからつけた。
▲保護した頃の米太郎。まだ恐怖心で怯えていたという
気弱で控え目。野生動物から身を守り、家主やボランティアが運ぶフードで命を繋いできた。
保護した直後は、人のいない環境で生活していたため、人になつくことがなく、無表情な目で見つめていた。それが、いつしか、人への親愛でキラキラした目に変わっていったという。
上村さん:保護する前の写真を見るたびに、臆病なのによくがんばったなと褒めてあげたくなります。
よく生き抜いてきたし、私の家に来てからも変わってくれたと思います。亀のようなスピードではありましたが、米太郎は少しずつ家猫への階段を上がっていきました。
ご縁もあって、米太郎はもうすぐ里親の元で暮らしをはじめる。
上村さん:猫たちは未だに出口の見えない現実の中で生きています。しかし、希望が何もない訳ではありません。
米太郎は、人のそばで暮らすことで、人への信頼をもつようになりました。個人では一度に何匹も保護するのは難しいですが、手を差し伸べる人が増えれば、かなり解決できます。
地道ですが一匹ずつを積み重ねるのが大切だと思います。猫の保護や里親探しは誰にでもできます。だって、初心者の僕にできましたから。
僕は米太郎に良縁を繋ぐことができたので、また他の猫を迎えに行きたいと思います。村には米太郎の兄弟もまだ残っていますし、猫にとって4年間は決して短い時間ではありませんから。
【写真展のお知らせ】
上村さんが撮影した写真60点が、猫写真展『ねこ専』にて展示されます。
日時:2015年4月28日(火)~5月3日(日)/11時~20時※最終日は17時まで。入場料500円。
場所:渋谷『ギャラリールデコ 2階・3階』(渋谷区渋谷3-16-3)
出展者は、上村さんのほか『飛び猫』でおなじみの五十嵐健太さん、ASUHA~明日葉さん、中山祥代さん、佐藤由美さん、前田悟志さんほか。上村さんのブログ『猫撮る』はこちら。
(取材・文/やきそばかおる 写真協力/上村雄高)