【川奈まり子の実話系怪談コラム】まいどの顔【第十四夜】

2015/04/29 19:00


第14夜用

子供たちの世界には時折、恐ろしいものが現れる。大人にはない度外れた想像力が無から有を生みだしてしまうのか、それとも私たちが長じるに従い視る力を失ってしまっただけなのか……。

「お母さん、〝まいどの顔〟って知ってる?」

知らないと答えると、息子は大真面目に「僕もよく知らない」と前置きして、説明しはじめた。

「どこかで知らない人に遭うとするでしょ。そしてまた、別のところで、たとえばコンビニの店員さんに遭う。そうしたら、その人が同じ顔をしてるんだ

「コンビニの店員さんと、偶然お店の外で遭っただけじゃないの?」

「そう思うよね。でも、次に病院に行くと、お医者さんがまた同じ顔をしていて、さらにタクシーに乗るとタクシーの運転手さんもおんなじ顔をしてるんだよ。毎度々々同じ顔だから〝まいどの顔〟っていうんだ

息子は10歳で、この春、小学校5年生になった。

かつて昭和の時代に、口裂け女人面犬を生み出したのはこのぐらいの子供らではなかったか――。

ノスタルジーを含んだそんな思いに捉われながら、私はその話には『のっぺらぼう』などの原型があること、だからそんなオバケは現実には存在しないことを説いてきかせた。

息子はそれで一応、納得したようだった。

「僕の知ってる誰かが見たって話じゃないんだ」

「ただの噂なのね?」

「うん。そんな感じ。〝花男(はなお)〟さんと一緒だよ」

〝花男〟というのは、息子たちが通う学校の三階の男子トイレに棲むオバケで、有名な〝トイレの花子さん〟の兄なのだそうだ。

ちなみに花子さんの妹もいるらしい。そのうち両親も出てきて、家族全員揃うものと思われる。


そのときは、それだけの話だった。

ただ、〝まいどの顔〟という名前だけは、妙に頭にこびりついて、その後、ふとした瞬間に思い出すようになった。

ところが、それから数日後――つい先週のことだが――近所に住む女の友人と話していたところ、彼女がまったく同じ話をしはじめたので驚いた。

「うちの子から聞いた話なんだけど」と彼女は前置きをして語りはじめた。

塾にお迎えに来る誰かのお父さんが、スーパーマーケットにも交番にもいるんですって。もっと言うと、下校の途中で道を訊ねてきた人も……」

「ちょっと待って。もしかして皆、同じ顔をしてるという話?」

「そうよ! 知ってるの? 〝まいどの顔〟っていうらしいわ

子供って面白いことを考えるものね、と彼女は話をしめくくり、私たちは自分たちが子供だった昭和の頃の都市伝説へと話題を移した。


彼女と私は渋谷の喫茶店でお茶を飲んでいたのだった。

店の前で別れて独りになり、時計を見ると、まだ午後3時だった。4月下旬の暖かな日和で、これといって急ぎの用もなく、散歩するのにちょうどいいと思った。

渋谷から家までは、徒歩で20分ほどの距離だ。

私は〝まいどの顔〟について考えを巡らせながらブラブラ歩きだした。


〝まいどの顔〟の話を聞いて私が真っ先に思い浮かべたのは本所七不思議の『置行堀(おいてけぼり)』に登場する「のっぺらぼう」と、小泉八雲が『怪談』の中で書いた『むじな』だった。

どちらも、罪の無い者が、偶然、つるりと顔の無いのっぺらぼうのオバケに繰り返し遭遇するという筋立てで、のっぺらぼうは狢(むじな)か狸(たぬき)が化けたものである、というところも共通する、似通った話である。

繰り返し人を驚かせる怪異が登場するのは怪談の典型的な様式の1つで、民俗学などにおいては「再度の怪」と名付けられて分類されているそうだ。

〝まいどの顔〟も、これにあてはまる。

21世紀生まれの平成っ子が生み出したオバケなのに、日本の伝統を正しく継承しているのは興味深いことだ。

ただ、〝まいどの顔〟のユニークなところは、それがのっぺらぼうなどの奇怪な容貌をしておらず、友だちのお父さんやタクシーの運転手など、あたりまえの人間の顔をしている点だ。

そして、どうやら、〝まいどの顔〟は男性であるらしい。

こんなことを考えつつ歩いていると、行き交う人々の半分ぐらいが〝まいどの顔〟かもしれないのだと思い至った。何しろ人間の約半分は男性なのだから。

――もしかしたら、今私と擦れ違ったサラリーマンが〝まいどの顔〟かもしれず、あるいはさっきまでいた喫茶店のウェイターがそうかもしれない。

――ひょっとしたら、夫が〝まいどの顔〟だったなんてこともありうる。

――子供っていうのは、おっかないことを考えるもんだなあ。


やがて私は、よく行くスーパーマーケットの前に差し掛かり、家にある牛乳の賞味期限が近いことや卵があと3個ぐらいしかないことなどを、不意に思い出した。

そこでスーパーに寄っていくことにして、そこは地下にある店なので、入り口のエスカレーターに乗った。

ここのエスカレーターは、上りと下り、2本のエスカレーターが並んで設置されている。私が下りはじめると、横の上りの方にも下から人が乗ってきた。

これといって特徴はない中年男性だったが、〝まいどの顔〟のことが頭にあったので、意識して顔を見てしまった。

やや頬のたるんだ四角い輪郭に、地味な奥二重の目。眉が濃い感じがするのが個性と呼べるだろうか。やはり、パッと見たとき感じた通りで、印象の薄い顔立ちだ――。

一瞬目が合い、慌てて視線を逸らした。見ず知らずの人の顔をジロジロ見るもんじゃない。

スーパーで思いつくままにあれもこれもと買ってしまい、思っていたより荷物が増えた。おまけに財布の中が乏しくなった。

夜、子供を塾に迎えに行くついでに一緒に外食するつもりだった。

子供連れでATMのあるコンビニに入れば、雑誌やお菓子を買ってくれとせがまれるかもしれず、煩わしい。

今のうちにお金をおろしておいた方がいい。そう思い、重い紙袋を手に提げて銀行を目指した。

銀行のATMの前には5人ばかり並んでいた。私も列に並ぼうとしたのだが、そのときうっかりして、紙袋が前の人の脚に軽く当たってしまった。

「あっ、ごめんなさい」

「いえ」と言いながら、私の前の人が振り向いた。

「いいんですよ。お気遣いなく」

すみません、と重ねて謝りながら、私は思わず目を瞬いた。

――スーパーのエスカレーターで擦れ違った人と似ている。

少し頬が下った四角い顔に奥二重、濃い眉毛。

でも、服装が違うような気がする。

いやいや、さっきはそんなに細かく見ていなかった。同一人物かもしれない。私より先にスーパーを出たのだから、辻褄が合わないことはない。

――〝まいどの顔〟のことばかり考えていたから、変な妄想に捉われるのだ。しばらくの間、〝まいどの顔〟は忘れよう――。


さて、お金をおろして、私は再び道を歩き出した。家までは、あとほんの少しだ。すぐそこの大きな交差点で、横断歩道をL字を描くような具合に2度渡り、真っ直ぐ100メートルぐらい歩けば着く。

1つ目の横断歩道を渡った先に交番がある。

忘れようと思ったのに、友人の話を思い出してしまった。

「スーパーマーケットにも交番にもいるんですって」

スーパーで擦れ違った男性とそっくりな人に、ATMのところで遭ったばかりだ。

そこの交番にもいたら〝まいどの顔〟に違いない。

考えてみたら、友人の子と私の息子は、通っている小学校は異なるが、お互いの家は近く、生活圏がほぼ重なっている。話に出てきたスーパーマーケットはさっきのスーパーであり、交番もこの交番である可能性は高い。

私は息子を連れて歩いているときに500円玉を拾って、一緒にこの交番に届けたことがあった。教育的に良いことをしたと思っていたが、そのとき対応してくれた警官の顔をまるで記憶していないことにそのとき気づいた。

制服を着て交番にいれば、すなわち「おまわりさん」であって、いちいち顔なんて見ていなかったのだ。

これは私だけではないだろう。

つまり、そのへんの道や店の中で擦れ違ったり、ATMの前でやってしまったようにちょっとぶつかったりした相手の顔を、普段はろくすっぽ見ないし、記憶に留めることもしない方が普通なのではないか。

交番の巡査や、タクシー運転手だって、そうだ。

よっぽど目立つ特徴があるか、トラブルになったり、強く印象に残るような会話を交わすか何かしなければ、普通は記憶に残らない。

と、いうことは、それが〝まいどの顔〟であったとしても気がついていないだけかもしれないのでは?

――こんな都会に、のっぺらぼうみたいな妖怪が。

まさか、と心の中で半ば自分を嗤いながら、交番を私は注視した。

制服を着た巡査が前に立ち、観光客らしい外国人に何事か説明している。

――あっ! 似てる!

そんな馬鹿なと思い、ドキドキしながら、2つ目の横断歩道を渡った。

そして、その後は何事もなく家に辿り着いた。


〝まいどの顔〟が、世間でどれぐらい話題になっているのだろうと思い、インターネットで検索してみたが、1つも検出されなかった。

ごく限られた範囲でしか噂されていないのだろう。

そのうち消えてしまうかもしれない。

でも、私はあれ以来、人が多い街中(まちなか)を歩くたびに〝まいどの顔〟を探してしまうのだが。

そうして、ここ何日か観察した結果だけれど、どうやら〝まいどの顔〟は色んな顔を持っているようだと思うようになった。

現代の「再度の怪」は、あなたと同じマンションに住んでいるかもしれないし、近くの工事現場でヘルメットを被って働いているかもしれない。

――御自分がそうではないという保証も無い。

(文/川奈まり子



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