【恐怖】現代人も祟られる?ごくごく身近に潜む日本の怨霊たち
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「怨霊(おんりょう)」という言葉を聞いて、何を思い出しますか? ホラー映画や史上最強の怨霊とも呼ばれる崇徳院を思い出す人も多いかもしれませんが、もっと身近なところに「怨霊」はいるのです。
たとえば、受験生に絶大な人気を誇る「北野天満宮」。
北野天満宮にまつられている神様、菅原道真。今となっては神様ですが、昔は怨霊。どれほど恐ろしい祟りがあったかというと…
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■「道真追放」の陰謀に加わった6人が次々と…
菅原道真は、幼少期から優れた才能を見せ、昇進を重ねて右大臣にまで上りつめたほど。
しかし、エリート家系でもないのにぐんぐん出世する道真は、当時政治の実権を握っていた藤原氏にとっては面白くないものでした。
「菅原道真が醍醐天皇の位を奪おうと企んでいる」
と、藤原時平はウソの噂を流し、真に受けた醍醐天皇は、道真を九州の太宰府に左遷。そして道真は、都から遠い九州でその生涯を終えたのです。
その死後、不可解なことが次々に……
道真を陥れた藤原時平がわずか39歳で亡くなり、左遷させた本人である醍醐天皇の息子も21歳で亡くなりました。
ちなみにその息子の母親は、藤原時平の妹だったのです。
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恐れおののいた醍醐天皇は死者の魂(霊)を慰めるための措置を取りますが、こんなもので終わる道真ではありませんでした。
その後、醍醐天皇の孫もわずか5歳で亡くなり、天皇の住居である内裏に雷が落ち藤原氏を含む3人が亡くなりました。
醍醐天皇はその後体調を崩し46歳の若さでこの世を去ったのです。道真を陥れた人々が次々と若くして亡くなってしまいました。記録に残っているだけで総勢6人。恐ろしや……
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■道真は亡くなった後も働いていた!?
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道真の怨霊に都がおびえていた時、関東では平将門が乱をおこしました。この平将門が乱を起こしていたころ、一人のある巫女に霊が憑依し、
「将門に、新皇という称号を八幡大菩薩が与える。そして、そのための文書を菅原道真が書く」
と、伝えたのです。
菅原道真は亡くなって怨霊となった後も、「文官」として信仰を集めていた?
しかし、平将門は最終的に取り押さえられ、現在の茨城県で首を切られています。その後、都に運ばれさらし首に。
この首が東国を目指して飛んでいったという伝説、その首が落ちたという「塚」が各地に点在しています。
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■現代の日本でも祟りは続いていた
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その首塚の中でも、もっとも恐ろしいとされるものが、現在の東京都千代田区にあります。
関東大震災の際、将門の首塚一帯を整備して大蔵省の仮庁舎を建てようとしたところ、工事関係者に死傷者が続出。計画は中止、仮庁舎は取り壊すことに。
さらに、第二次世界大戦後。GHQが首塚を取り壊して区画を整備しようとすると、またもや事故が相次ぎ、この計画も取りやめに。その後「首塚を壊そうとすると祟りが起こる」と首塚は史跡として整備。
また2014年に、三井不動産が進める大手町再開発計画がありましたが、敷地の一角にある将門の首塚は「計画外」になっています。
(文/しらべぇ編集部・スギタユノ)