カフカの『変身』は、残酷な介護問題のメタファーか【芥川奈於の「いまさら文学」】
「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。」
このような奇天烈な文章から始まるフランツ・カフカの『変身』(1915年)。この作品に隠されたテーマを探ってみよう。
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■「介護問題」の残酷な側面を描いた?
主人公のグレーゴルは、ある日突然、自分の意思とは無関係に、自由には動けない「巨大な虫」になってしまう。
やがて家族や周囲の者に疎まれ、最後には打ちのめされて死んでいくが、その後、家族はすぐに久々の休暇を取りピクニックへと出かけていってしまう。そして疲れ果てていた家族たちの顔色はキラキラと輝いていく。
これは、介護をする側とされる側を表しているのでは? そう読むこともできるかもしれない。
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■突然の不幸に見舞われた相手をどこまで受け入れられるのか…
残酷にも「動けない」「姿が変わった」というだけで、周囲の者の目はすっかり変わってしまう。
最初は気を使い、虫になった兄が動きやすいよう家具の配置などを変えてくれたりしていた優しい妹でさえも、陰では母と、人間だった頃のグレーゴルさえも否定するような悪口を言い始める。
父には林檎を投げつけられ、ステッキで叩かれ、それが致命傷になって動くこともできなくなる。
グレーゴルは、そうして日に日に自分自身に失望していくのだ。
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■介護をされる側の悲痛な心
そんな中、グレーゴルは決して周囲を恨んだりはしていない。
むしろ、自分が「変身」してしまったことに対して、そして、その姿で家族と共存していくことに対して、どこか情けなく申し訳ないとさえ思っている。
これは明らかに弱者の思想であり、最後には「自分は消え失せなければいけないのだ」と思いながら、弱りきり、死んでいってしまう。
グレーゴルにとっては、とても酷い(むごい)終り方である。しかし本人はそれでいいとしているのだ。それは、その分だけ周囲の理解がないということに繋がっている。
自分の身も、いつか「変身」することがあるかもしれない。また、大切な人がそうなった時にどう対処したらいいか、本作を読んで、ここは一つ考えておくべきではないだろうか。
(文/芥川 奈於)