男子には時にスリリングな体験もさせよ!【溜池ゴロー、子育てこそ男の生き甲斐】
息子には 「夢」や「冒険」を想い描き続ける男になってもらいたいということで、息子4歳の夏、ワシら家族は、日本の最南端に位置する波照間島に初めて旅をした。
このときにワシら家族は、波照間島を思いっきり気に入ってしまい、結局今までに、息子が4歳、6歳、8歳のときの計3回行った。
行くたびにワシら家族は、ギラギラした太陽に照りつけられながら、原生林の間や海沿いや集落を自転車で走り回った。最南端の岬では荒れ狂う海を眺めては自然の驚異を感じた。
■まるで珊瑚の竜宮城
島の逆側には、珊瑚礁の広がるエメラルドグリーンの海岸がある。息子の泳ぎが達者になってからは、シュノーケルをつけて珊瑚礁の切れ目まで3人で泳いでいった。
珊瑚礁の切れ目あたりで潜ると、まるで海の中に珊瑚の竜宮城が現れたかのように、海深くまで珊瑚が立体的な姿を見せ、いろんな魚達が周辺を悠々と泳いでいる。
ワシの息子の言葉を使うと、「海の中の六本木ヒルズ」のようだ。
ワシはそこまで泳ぎが得意ではないので、いつも珊瑚の端っこから、息子と妻が「海の六本木ヒルズ」の上空を飛行するかのように泳ぐ姿をゴーグル越しに眺めていた。
海中のワシは、妻と手をつないで魚と交流するかのように深くまで潜ったりする息子の姿をみながら、とてつもない幸福感だけでなく、大きな未来を感じていた。
波照間島は、ワシら家族に、とくに息子には、多くのプレゼントをくれたとワシは思っている。ただ、そのプレゼントの中には、とんでもないものもあった。
そのとんでもないプレゼントは、息子4歳のときに初めて波照間島に行ったときのことだ……
関連記事:お寿司の「大トロ」食べたい人は約7割!よく食べている人はやっぱり勝ち組と判明!
■帰りの船が欠航するピンチ!
その年の旅では、本来なら波照間島の後、竹富島にも泊まって、最後に石垣島に1泊して東京に帰る予定だった。
しかし、ワシらが波照間島に渡った後、八重山地方の南の海上では、熱帯低気圧が徐々に発達していたのだ。そして、波照間島周辺の波は4メートルほどの高さになっていた。
実は当時、波照間島には観光客が少ないということで、他の離島へ行くのと違い、波照間島行きの高速船には大型のものを使用しておらず、波が高くなってしまうと、運行できなくなるのだった。
ワシらが波照間島から離れる予定日は船が出ず、予約していた竹富島の宿をキャンセルすることになり、波照間島に留まったのだが…… 波は数日間高いままで、ワシらは波照間島に閉じ込められた状態になった。
船が来ないので、宿の食事が徐々に貧しくなっていく。島の食堂も食料がないためほとんどが閉じたままの状態になり……ついにワシらが東京に帰る前日になってしまった……まずい!
今日石垣島に行けないと、飛行機に間に合わないではないか! いったいどうやって帰ればいいのだ!……そんなとき、焦りまくるワシに、島の人がある提案をしてくれた。
そして、ワシらはその帰る手段を選ぶことにした……どうやって帰ったか……
実は、島の漁師さんの漁船に乗せてもらったのだ。隣の西表島まで渡れば、大型高速船が走っているので、石垣島までいけるということだった。
関連記事:「スーツマジック」は実在した!6割の女性が魅力を感じる着こなしのポイントは?
■ワイルドな漁船での移動
ワシら家族は、4メートルの波の中を漁船で1時間ほど乗ることになってしまったのだ。ワシは、4歳の息子を膝の上にのせ、椅子に座った。
漁船には、ワシら家族以外にも、ワシらと同じ境遇の観光客たちが少し乗っていた。 ワシにとっても漁船は初体験だったが……4メートルの波というのが、あんなに恐ろしいものだとは初めて知った。
波が壁のようにそそり立ち、遠くの風景が見えないではないか! 船は「揺れる」というより「波から落ちる」ように跳ねながら進んで行く。 息子は最初、
「こわい〜〜〜」
と体を固くさせていたが、気づくといつの間にかスヤスヤと眠っていた……
ワシは、この中で眠れる息子を「ひょっとしたら、こいつは大物になるかもしれん」などと、船が大きく揺れる度に恐ろしさを感じながらも、心の片隅でちょっと嬉しい気持ちになっていた……
途中、前に座っている若者の持つ手すりが取れてしまったり、顔を真っ青にしながらうつむいている隣の女性が吐いてしまうのではと心配になったり……
いろいろありはしたが、西表島が見えたときには心底ホッとした。膝の上の息子の寝顔を見ながら、本気で幸せを感じたものだ。 今、息子は10歳だが、あのときの経験は確実に息子の脳みその発達を加速させたような気がしてならない。 男の子には、たまにはスリリングな体験も必要かもしれん。
ということで、今回は以上。
(文/溜池ゴロー)