【川奈まり子の実話系怪談コラム】いちまさん【第二十五夜】
母方の祖父母のうちに、祖母が「いちまさん」と呼んでいる古い市松人形があった。 戦前、祖父母一家が仙台に住んでいた頃からあったものだといい、古びてはいたが傷んでおらず、大きくてとても立派な人形だった。
足から頭の天辺まで、六十センチぐらいもあったろうか。抱かせてもらったことはあるが、子供が遊ぶには不向きな骨董品で、いつも奥座敷の棚に飾られていた。
幼い頃、私は「いちまさん」を眺めるのが好きだった。妹が生まれる前や直後に、飛び飛びに、数日から数週間、祖父母の家に預けられることがあり、当時三つだった私は、よく「いちまさん」に話しかけていた。
ときどき、「いちまさん」の表情が動くように感じたことを今でも憶えている。 幼児のごっこ遊びは真剣なもので、ぬいぐるみも人形も、その真剣さに応えて、ときには返事をする
――ように当人には感じられるものだ。 本当に動いたり、喋ったりするわけはない。が、子供は自分の作った世界にどっぷり浸かっているので、動いたり喋ったりしたと信じ込む。
「いちまさん」は、その頃の私の中では、お姫さまだった。 なにしろ、うっとりするほど綺麗で気品に満ち溢れていたので。 縮緬に刺繍を施した豪華な振り袖、静かな艶を浮かべた漆黒の髪、梨地の美しい肌。
今でも憶えているが、現在、「いちまさん」が何処に居るのかは知らない。祖母も祖父も亡くなり、あのときの家も壊されて建て直されて、久しい。
つい先だって、その「いちまさん」とそっくりな人形の話を聞いた。 大きさや髪型、縮緬の着物を着ているところなどが同じで、偶然にも、それも元の持ち主から「いちまさん」と呼ばれていたという。
語ってくれたのは、以前、都内にあるアンティークの人形専門店で店員のアルバイトをしていた、神田さんという二十代の男性だ。 神田さんは骨董鑑定士をめざして現在も修行中で、その店にも修行を積むために入り、働かせてもらっていた。
「あと半年勤めれば正社員にしてもらえることになっていて、そのつもりだったのですが、結局、いちまさんのせいで辞めてしまいました」
そこの店主は骨董人形、ことに市松人形をはじめとする日本人形の目利きであり、古い人形の買い取りや委託販売、鑑定もした。 ある日、五十年輩の中年の女性から、市松人形の鑑定を受注した。
電話やメールで店主と女性がやり取りをした結果、件の人形が明治時代に高名な名匠によって創られた市松人形だとわかり、見せてもらうだけでも価値あることだと言って店主は喜んだ。
果たして、その人形が持ち主によって店に持ってこられてみると、期待以上に状態も良く、素晴らしい一品であった。 店主は、是非買い取らせてほしいと願い出た。 しかし、持ち主の女性は、なかなか首を縦に振らなかった。
「あのときは、店のご主人も僕も、さては値段を吊り上げるつもりだなと思いました。
だけど本当に滅多に出てこない希少な人形だし、ご主人は根っからの人形好きで、どうしても手もとに置きたかったから、相場より高い値段を言って、強引に買い取らせてもらおうとしたんです」
すると、女性は困った顔をして、奇妙なことを話しはじめた。
――この「いちまさん」があなたを好いと思うかどうかわかりませんから、私の一存で決めてしまうわけにもまいりません。鑑定してもらおうと思ったのは、自分は病気で、もう命が長くないとわかったからです。
だからいずれ近いうちに、この「いちまさん」を可愛がってくれる誰かに譲るつもりでしたが、譲る宛ては特にこれといって無いので、あなたでも構いません。でも、「いちまさん」が、どうしてもここは厭だとなったら、きっと無理ですから。
「人形に意思があると信じているようでした。でも、僕は、その店で積んだそれまでの経験から、ご自分の人形をまるで人間扱いしている人形愛好家が珍しくないことは知っていました。
だから、そのときは、ああ、この女性もそうなんだな、と思っただけでした」
そして、女性は人形を店主に託して帰っていった。 どうしても「いちまさん」を手に入れたい店主は、自ら提示した高額な買い取り価格の半額を女性に持たせたが、彼女は最初は固辞し、それでも、と店主が迫ると渋々受け取ったのだという。
――では「いちまさん」を、お預けします。しばらくしたら、ようすを見にうかがいます。そのとき、「いちまさん」が厭がっているようでしたら、このお金はあなたにお返しして、この子をお譲りできる方を別に探します。
神田さんは、ずいぶん頑固な人だなと感じたが、この程度の変わり者ならマニアックな人形好きにはまれにいるので、さして疑問に感じることもなかった。 店主は、これでもう「いちまさん」を手に入れたも同然だと言って、ホクホク顔だった。
店主は、さっそく「いちまさん」の着物を修繕することに決め、その許可を持ち主の女性から取った。 私物にするにせよ、商品として売りに出すにせよ、少々ブラッシュアップする必要があった。
いくらコンディションが良いとは言え、着物を脱がせて、仔細に点検すれば、虫喰いの穴や糸のほつれなど、気になるところが見つかったのだ。 店主自身も、古い日本人形の着物を縫うことが出来た。
が、この「いちまさん」のように特別に貴重な人形については、専門の職人に着物などを直させていた。
すぐに職人が店に呼ばれ、店主と人形を挟んで、ああでもないこうでもないと打ち合わせした挙句、「いちまさん」をいったん職人に預かってもらうことになった。
職人が、作業の途中途中で、着物を着せつけてみて、ようすを見ながら、着物や帯を修理したいと主張したためだった。別れ際、店主は
「いちまさん、無事に帰っておいでよ」
と人形に語りかけた。
それから三日後、「いちまさん」を預けた職人から店に電話があり、店主が留守だったので、神田さんが対応した。
職人は、もうこれ以上うちの工房に「いちまさん」を置いておくことは出来ないから、今すぐそっちへ持っていくと、有無を言わせない口調で一息に述べて、電話を切ってしまった。
職人は「いちまさん」を工房へ持っていくときには、着物が仕上がるまで最低でも五日はかかると言っていたので、神田さんは驚き、外出中の店主にすぐに電話でこのことを知らせた。
急いで戻ってきた店主と、「いちまさん」を納めた箱を抱えた職人は、ほぼ同時に店に着いた。 まだ昼間だったが急きょ、閉店の札を下げ、神田さんも交えて三人で、店の奥の座敷で「いちまさん」の箱を取り囲んだ。
「職人さんが、ただならぬようすだったんです。徹夜で着物を仕上げたと言って、ひどく憔悴しているだけなく、顔が引き攣っていて。何があったのかとご主人が訊ねたら、まずはこれを見てほしいと……箱の蓋を開けて、人形を包んでいた布を解きました」
現れた「いちまさん」の顔を見て、神田さんも店主も息を呑んだ。 送り出したときとは、明らかに、表情が違っていたのだ。 今にも泣きだしそうに見えた、という。
職人によると、顔つきが刻々と変わる「いちまさん」のことが怖くなり、出来るだけ早く返すために、夜を徹して作業をして仕上げたとのことだった。 その話を聞いて、店主は「いちまさん」に頭を下げた。
――すまない。私が悪かった。うちに連れて来られたと思ったら、すぐに他所にやられて、さぞ怖かっただろうね。気遣いが足りなかった。 そして店主は「いちまさん」を優しくそっと抱きあげた。 すると、たちまち、「いちまさん」の表情が、元のように和やかに変わった。
この怪異を目のあたりにして、神田さんは「いちまさん」のことが怖くなってしまった。店主は骨董人形の査定や買い取りで呼び出されることも多く、他に店員もいなかったから、神田さんはちょくちょく独りで店番をさせられた。
店主の意向で、「いちまさん」は非売品の札を付けた上で、陽の当らない、売り場の奥の方にある豪奢な肘掛椅子に座らせることになった。 特段の扱いだった。
ふつうは、ある程度以上、古くてレアな人形であれば、ガラスの展示用ケースに入れるか、桐の箱に仕舞いこまれるかするのだが。
「そんなことしたら「いちまさん」が可哀想だと。ご主人がそんなふうに人間扱いするものだから、僕にもそれが伝染ったのか、店にいると、いつも「いちまさん」の視線を感じるようになってきたんですよ。
それがまた、何かこう、絡みつくような、ねっとりした感じで……大人の女性の、色っぽい眼差しみたいな……」
市松人形に多い、幼女の姿を模した「いちまさん」なのだが、神田さんは艶っぽい秋波を送られているように思い、尚のこと恐ろしくなってしまった。また、日が経つにつれ、店主の神田さんに対する態度も変化していったのだという。
――私の留守中に、「いちまさん」に触らなかっただろうね?
そんなことを度々、問い質されるうち、神田さんは店主に嫉妬されていることに気づいた。
「もう我慢できませんでした。それで、アルバイトを辞めたいと言ったところ、ご主人はホッとした顔をして、僕が頼んでもないのに、表向きは店の都合で仕方なく辞めてもらうことになったことにしようと申し出てくれたんですよ。
ご主人の知り合いの骨董美術の店に紹介状を書いてもらえることになって……でも、それからも代わりのアルバイトが見つかるまで一週間ぐらい働きました」
その間に、「いちまさん」の元の持ち主の女性が来店した。 彼女は、以前は持っていなかった杖をついて現れ、見るからに体が弱っているようすだった。
そして、店主が「いちまさん」と引き合わせると、我が子を諭すかのように「いちまさん」に語りかけはじめた。
――わがままを言っちゃいけませんよ。望まれて貰ってもらうのが、幸せになる道なんですから。
その後、神田さんが店を去る寸前、店主に挨拶しようとすると、店主は「いちまさん」を抱きかかえて店の外まで出て来て、
――「いちまさん」も、さようならを言おうね。
と、人形に向かって囁いた。 そのとき「いちまさん」は、はっきりと泣き顔になっていたという。 こんなことがあって以来、神田さんは古い市松人形がすっかり苦手になってしまい、今は壺や茶碗など陶磁器専門の骨董屋で働いている。
(文/川奈まり子)