【川奈まり子の実話系怪談コラム】空き家じゃなかった【第二十六夜】

2015/10/14 19:00

sirabee1015kawana001

二十代の半ば、鎌倉に住んでいた頃、うちの近くで火事があった。冬、寒さの厳しい夕暮れ時に、消防車のサイレンが間近で盛んにするので、外に出たところ、空に立ち昇る黒煙が見えた。とても近い。

隣の家族も表に出てきて、煙の方へ歩きはじめたので、なんとなく付いていった。うちから十メートルほど離れた雑木林の脇を通る階段を下りてゆく。

すぐに、階段を下りきったところにある家が燃えているのだとわかった。空き家だとばかり思っていた、古い木造の平屋だ。そのすぐ傍にある物置小屋も燃えていた。物置と平屋、どちらが火元かはわからない。

一体となって、炎と煙を噴き上げている。 火の勢いは凄まじく、平屋のある敷地に隣接している二階建てアパート住民も、消防隊員に誘導されて外に逃げ出してきた。

火はアパートの壁に延焼して、ようやく消し止められた。

たいへんな被害である。身の回り品を持っただけで着の身着のまま寒空に放り出されたアパートの住人たちの中には、地べたに膝をついて泣いている者もあり、痛ましい眺めだった。

近所の人たちがそれぞれ引き揚げていく中、私も踵を返して家へ帰ることにした。 その直後、背後でつんざくような悲鳴があがった。

「人が出てきた!」

屋根も燃え落ち、全焼した平屋の瓦礫の中から、黒焦げの人物が這いだしてきたのだった。――空き家じゃなかったのだ。


たしか翌日だったと思うが、偶然、家の近くで近所の顔見知りの人に会った。挨拶もそこそこに

「昨日は凄かったですね」

と話しかけてきたので、私は

「焼け跡から出てきた人は、どうなったんでしょう」

と気になっていたことを訊ねた。亡くなった、とのことだった。遠目にもまるで消し炭のようになっていたので、予想通りの答えだった。その人は、あの家のご主人なのではないかと推論を述べた。

曰く、十年ほど前まではあの家の主である老人があそこに暮らしていたが、いつのまにか姿が見えなくなり、家がボロくなっていった。

とっくに引っ越したものと思っていたが、実はずっとあそこに暮らしていたのではあるまいか。 自分の知り合いで、焼けた家の家族と、昔、親交のあった人によると、あの平屋には、地下室があったらしい。

漬物樽や保存食などを置いていたが、そこに隠れていたので、逃げ遅れもしたが、家が燃え落ちても尚、息があったのではないか――。そんな話を聞いた後、私は、その日のうちに、件の火災現場の横を通る用事が出来た。

焼け跡は一面、ブルーシートで覆われていたので、亡くなった人の痕跡などは見えなかった。


そのうち、そこは更地になり、やがてアパートの修繕工事も済んだ。さらに数ヶ月後、空いていた土地に家が建てられた。こじんまりとした二階建ての家だった。

やがて、近所の噂が耳に入ってきた。なんでも、新しく建ったのはアパートの大家のうちで、家主は、あの平屋に住んでいた老人の息子だということだった。

つまり、焼け死んだ父親がしていたアパートの大家の仕事を、息子が継いだのだ、と。

やはり、あの平家には人が住んでいたのだ。土地持ちで、アパートを経営していたのに、まるで空き家にしか見えないボロ家に隠棲していたのは不思議なことだったが、そうに違いなかった。

新築の家には、前には無かった花壇やガレージも備えつけられていた。以前の打ち捨てられたような景色とはまるで違い、人の暮らしを感じさせる活気のある景色だった。

実際、一度、そばを通りかかったときに、そこの庭でバーベキューをやっている人々を見かけた。仲の良さそうな四人家族で、二人の子供たちはどちらもまだ小学生くらいだった。

毛の長い小型犬が、はしゃいだようすで子供らのまわりを跳ね飛んでいた。


ところが、それから暫くすると、その家の雰囲気がおかしくなった。まず、ガレージに車があるところを見かけなくなった。花壇の花が枯れ、庭が荒れ放題になってきた。

その頃には、いつ見ても、家の窓のカーテンがすべて閉ざされたままで、留守にしている印象になっていた。 つまり、そこにかつて在った平屋と同様に、空き家めいたようすに変わってきたのである。

そんな矢先、私は、その家の横のアパートに住む人を取材することになった。当時やっていたフリーライターの仕事で取材を申し込んだイラストレーターの女性が、偶然にもそこに住んでいたのだ。

アパートを訪ねて記事に必要な質問をし、その後、以前あった火事のことと、大家の家族のことを話題に持ち出してみた。すると、彼女は、火災が起こる前からそこに住んでいたのだと言って、話しはじめた。


――火事の前まで、私も、大家さんは引っ越したものだと思っていました。でも、火事のあった日の朝、大家さんを見たんです。

そこの窓からちょうど斜め下に、大家さんのうちの掃き出し窓があって、そっちからガタガタ音がするので見てみたら、ガラス戸を開けて、おじいさんが顔を覗かせたところでした。

面変わりしていて、最初は誰かわからなかったんですけど、よく見たら、ずっと前に見たことがある大家さんに違いありませんでした。久しぶりに家のようすを見にきたんだろうと、そのときは思いました。

あそこは空き家になったとばかり思っていましたから。だけど、火事の後、アパートの他の住人と何度か話をするうちに、大家さんはあそこにずっと住んでいたのだと確信するようになりました。

というのも、ここに住む人たちが、みんなバラバラの時期に、おじいさんを見かけていたんですよ。何年も前だったり、数ヶ月前だったり、あるいは何日か前だったり。

大家のおじいさんを見た時間帯も、朝の人もいれば真夜中の人もいて、色々でした。 と、いうことは、大家さん、滅多に外出しなかっただけなんじゃないかと思うんですよね。

それから、亡くなった大家さんの息子という人が、家を建てて、引っ越してきました。いらしてすぐの頃、うちにも挨拶に来られましたよ。アパートの大家の仕事は、ずっと前から、実質的には息子さんが引き継いでいたんですって。

土地ごとアパートも相続したので、それまで妻子と一緒に住んでいた家土地を売って、ここに引っ越してきたのだと話していらっしゃいました。良いご家族だったのに……。


そこまで聞いて、大家の一家に何か遭ったのかと私は思った。事故か、事件か、家族の病気や病死。そういう何らかの突発的な出来事が起きたために、建てて間もないあの家に住まなくなってしまったのか、と。

ところが、彼女はそうではないだろうと推理していた。四人家族が四人揃って、家に引き籠っているのだろう、と。

――なぜって、たまにあの人たちの気配を感じますから。犬の鳴き声も、ときどき聞こえますし、話し声や何かは、どういうわけか全然しないんですけど、お子さんたちの姿を見たことがあるんですよ。ほら、こっちに来てください。

ここから、あの家の二階の窓が見えるでしょう? ここも二階、あっちも二階だから、すごく近いんですよね。 あの窓が、たまに開いたり、カーテンが動いたりするんですよ。

そこから子供たちが顔を覗かせたことがあります。 顔色も悪くなく、健康そうに見えましたが、どういうわけか、私が話しかけても返事をしませんでした。でも、生きている、普通の人間でしたよ。

……いいえ、やっぱり普通じゃあ、ありませんよね。玄関がちょうど閉まるのを見たこともあって、そのときはよっぽど話しかけようかと思いました。ご主人と奥さんの背中が、ドアの中にちらっとしたので。

でも、逃げるみたいに素早く家の中に入って、すぐにバタンとドアを閉ざしてしまわれましたから。どうして籠っているんでしょうか。本人たちに訊いてみたいけど、訪ねて行く勇気がなくて。それはやっぱり、怖いから。

あんなふうに家族全員で引き籠ってるのは、ちょっと異常でしょう。 家賃は銀行振り込みで、大家さんたちと会う必要はありません。だから、あの人たちがああしている理由は、わからないままなんです。


気味の悪い話だと思いつつ聞いていたら、どこかで犬の鳴き声がした。キャンキャンと吠えている。小型犬特有のカン高い声だ。イラストレーターの彼女は、

「大家さんとこの犬ですよ」

と呟いて、そちらを指差した。大家のうちの二階の窓が、目の前にあった。彼女と二人でしばらく見守っていたが、ガラス窓は閉まったままで、窓辺のカーテンも揺らめきもしなかった。

地面から生えた蔓草が壁を覆うように這いのぼり、二階の窓枠にまで達して、絡みついていた。 人の気配はまったくしなかったが、犬はカン高い声で、しばらく鳴きつづけ、ふいに、口を塞がれたように鳴きやんだ。

(文/川奈まり子

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