【川奈まり子の実話系怪談コラム】首は何処へ【第二十七夜】
私が子供の頃というと、一九七〇年ぐらいから八十年代前半にかけてということになるが、当時は暴走族の時代でもあった。
少女期を過ごした八王子市には「スペクター」という巨大な暴走族グループが根城を張っており、私が中学生の頃には「スペクター参上!」「スペクター八王子支部」というカラースプレーの落書きが町のあちこちで見られた。
ネットも無い時代の八王子の町はずれは今よりずっと田舎だった。また、郊外に住宅を買ったホワイトカラー族の親たちの躾は一律に厳しかったように思う。だから私の周囲では、中学生は渋谷や原宿なんて一度も行ったことがなくてあたりまえ。都心の繁華街に何度か遊びに行ったことがあるなどと吹聴したが最後、「不良」のレッテルを貼られてしまったものだ。
そんな私たちにとって、好き勝手に何処へでも走っていける暴走族というものは、憧れを潜めた畏怖の対象だった。
暴走族はレイプや傷害、器物損壊などの犯罪を日常とし、爆音はやかましく、恐ろしい。でも、彼らは私たちが知らない自由の風を纏っているように見えた。
首無しライダーの噂が彼の地の少年少女らの間で盛んに囁かれたのは、ちょうどその頃のことだ。
私は中二か中三で、電車で三駅先にある塾に通うほかは、家を中心とした狭い徒歩圏内で生活していた。その内の半分近くが狸や野鳥が棲まう山、残りが平坦な建て売り住宅街と、あとは大型トラックと暴走族が埃を蹴立てて往き来する国道周辺なのだった。
あるとき、近くの国道で暴走族同士の事故があった。
事故として処理された殺人だったのではないかと思うが、そんなことは当時は珍しくなかった。彼らが金属バットや鉄パイプを公然と携えて道路を疾駆していてもお咎めが無かった最後の時代で、頻繁に喧嘩という名の殺し合いが勃発していた。
その「事故」も、鉄製の得物でもって互いにど突き合い殴り合いつつ国道を並走していた数台のオートバイが起こしたもので、何名かが死傷を負い、うち一名が即死した。
即死したその一人というのが、事故のしばらく後に首無しライダーになってしまった。
――正確に言うと、死に方が特異だったため、当時流行の都市伝説「首無しライダー」の末席に彼も座ることになった。
彼は対向車線を走ってきたトラックに夕焼け空高く跳ねあげられ、二十メートルも宙を飛んだ。そして道路に叩きつけられ、その上を何台ものオートバイや車が轢いていった。
現場を目撃した同級生男子の話では、その結果、「ほぼバラバラ死体」になったそうだ。
ちなみにその同級生の家は事故現場の目の前の国道沿いで、ちょっと怪しげな旅館を営んでいた。家業は傾きかけており、両親は仕事と資金繰りに忙しく、彼は塾に行かせてもらえず、つまりは暇だったので、同じく暇な一つ上の兄と一緒に国道沿いをブラつき、暴走族が通るのを待ちかまえていたらしい。
バラバラ死体が即製されるのを目撃して兄弟は震えあがったが、好奇心も掻き立てられた。自分らは事件の目撃者だから、すぐにも手帳を持った刑事に話を訊かれるのだろうと確信したのだ。
石原プロの『太陽に吠えろ』『西部警察』が人気だった時代の少年たちにありがちなことだが、テレビの刑事ドラマの影響をもろに彼らも受けていた。
同級生と兄は恐ろしさに震えながらも、不謹慎に目を輝かせていたはずだ。
これは大事件に違いない。兄弟がそう思ったとしても誰も責められない。なにしろ……暴走、乱闘、そしてバラバラ死体が転がり、倒れて呻いている暴走族の少年たちも何人も居り、道路のアスファルトには血が流れ、彼らの前にあるのは途轍もない惨状である。
すぐに救急車とパトカーが飛んできて、道の両脇には人だかりが出来た。ここまではドラマと同じ。
次は刑事さんたちが颯爽と登場して、そのうちテレビのレポーターもやって来て……と、兄弟は想像を膨らませたのだが。
予想に反して、彼らは警察官たちにまるで無視された。
それどころか、ノラ猫を追い払うようにシッシッと退かされたので、すっかり腐ってしまった。とくに兄貴は弟の手前もあって、プライドを傷つけられたようだ。かと言って警察官に喰い下がって目撃者の証言を取れと迫る勇気は無く、所在なくそこらを歩きまわることしか出来なかった。
同級生は兄にくっついて事故現場の周辺をうろうろした。
後ろの現場では、騒ぎが一向に止まなかった。怪我人はすみやかに搬送されたが、その後も何かまだワーワー言っている。
しかし、近づいていってもどうせまた追い払われるだけだ。
そのうち兄は道端の自動販売機のところへ同級生を連れていった。ポケットから小銭を出して、ジュースを買い、事故現場を遠く眺めつつ悔しさもろとも飲みほして、缶を捨てようとしたとき、彼らは気づいた。
自販機の近くの植え込みの根もとに、ヘルメットが転がっている。
後に、同級生の兄はこう推理したそうだ。
あれは事故のあった方角から飛んできて、自販機にぶつかり、植え込みに落ちて、自重で枝をしなわせて地面に落ちたに違いない、と。
きっとその通りだろう。けれども、そのとき兄弟は、ただ「ヘルメットが落ちている」と思っただけだった。事故とは結びつけなかった。
ヘルメットはフルフェイス型で、いかにもバイク乗り風の黒と原色のバイカラーが非常に格好良かったそうだ。
暴走族にほのかな憧憬を抱きつつ、することもなく徘徊していた兄弟である。
拾わない方が不思議だ。兄が弟に「拾えよ」と命じた。
ジュースを買ってもらったばかりである。私の同級生は、植え込みのそばに屈んで腕を伸ばし、ヘルメットに手を掛けて引き寄せた。
そのとき、やけに重いと思ったのだという。引っくり返して顎紐を掴もうと思っていたけれど、その体勢で片手では裏返すのは無理そうだった。
そこでそのままズルズルと舗道まで引っ張ってきた。
舗装された平らな地面に乗っかると、ヘルメットは自然に転がり、それまでは見えなかった前面のファザードの側を上に向けた。
そして彼は、ヘルメットの中にあった顔の眼と一瞬目が合ってしまった。
トラックに跳ねられたときか、その後、何台ものバイクや車に轢かれたときか、どのタイミングでかはわからないが首が千切れて、ヘルメットに収まったままスポーンと飛んでしまったとみえる。
兄弟の悲鳴を聞いて駆けつけた人々により、首は回収された。
事故後、警察官らが現場に留まってずっと大騒ぎしていた理由は、死体の首が見つからないため探していたからだったのだ。
今度こそ、同級生たちは警察官に話をすることが出来た。
でもテレビのレポーターは来なかった。この件は新聞に載ることすらなかったので、同級生はとてもがっかりしていた。
国道を首無しライダーが走りはじめたのは、同級生から話を聞いてから数日後のことだった。
暴走族ウォッチャーは同級生とその兄ばかりでなく大勢いた。彼らが噂の発信源になった。
夕暮れ時、暴走族が何十台とオートバイや改造車を連ねて国道を走る中に、一台、首の無いライダーが駆るバイクが混ざっているのだという。 皆を追い駆けるようにしんがりを走っていたという者もあれば、地獄へ引率するかのように先頭に居たという者もあり、群れの中に混ざっていたという者もあった。
首が抜けてヘルメットごと飛ぶという実際あった事故のことを、目撃者たちが知っていたかどうかはわからない。
その頃、日本全国各地に首無しライダーが現れていたから、八王子の片隅で子供たちを席巻したこの噂も、その影響を受けていたことは確かだと思われる。
首無しライダーの噂の発端は、オーストラリア映画『マッドストーン』が一九八一年に日本で公開されてからだという説がある。
この映画の中に道路に横に張られたピアノ線でライダーの首が切断される場面があり、これが、暴走族対策として近隣住民が道路に張ったロープが原因でバイクの転倒事故が起きたという現実の事件のニュースとミックスされた結果、以下のような伝説が出来たというのだ。
――ピアノ線の罠でライダーが首を刎ねられた後も、しばらくの間オートバイは首の無いライダーを乗せて走りつづけた。彼は地縛霊になり、今でもその道路に取り憑いている。首無しとなっても生前と同じようにオートバイに跨り、猛スピードで走りながら失った自分の頭、または彼を殺した人間を捜しているのだ――
地方によって幾つかバリエーションがあり、平将門ばりにライダーの首が空を飛んでくるという話や、全員首が無い「首無し暴走族」の伝説も生まれた。
典型的なのは、こんな目撃談だ。
「夜、車を運転していると、並走してきたオートバイのライダーの首が無い。驚いてブレーキを踏むと、首無しライダーはそのまま走り去ってしまった」
平将門の首級は平安京の都大路で晒されたが、三日目に飛びあがったかと思うや東方へ向けて空を駆け、故郷に戻ったという伝承がある。
将門公の首塚は数ヶ所あるが、わけても有名なのが東京都千代田区大手町にある首塚で、この地の住民は長らく将門公の怨霊に苦しめられていたという。
現在でも首塚は聖地として、首塚周辺にビルディングを建てて営業している企業の有志によって崇めたてられ、大切に祀られている。
そこへ行くと、首無しライダーは暴走族の時代が過去のものになるにつれ、次第に忘れさられようとしているように思えるのだが、どうだろうか。
首は何処へ――。将門の首は大空を渡って平安京から武蔵の国まで飛んできたが、逆に、内側に潜って隠れてしまった場合もある。
これは先日、聞いた話だ。
電車の人身事故は日常茶飯事。だから電鉄会社の職員は、各部が千切れ飛んだ悲惨な死体の回収作業にも慣れてしまうのだとか。
怖がっていたら電車が動かせず何億円という大変な損害が生じてしまうのだから、どうしたって慣れざるをえないのだ。
そこで淡々と轢断された肉体の一部をトングで拾い集めるわけだが、とある事故の際、どうしても亡骸の頭が見つからないことがあった。
肩までは手足も指も揃った。しかし首だけが見当たらない。どこを探しても無い。
早いとこ電車は動かさねばならぬ。職員総出で必死で捜し回ったが、ホームにも線路にも落ちていない。
あと捜すところがあるとすれば、無残なことになっている死体だけだ。黒いビニール袋に大半が収まっており、それ以外には胴があるきりの。 頭は無い……と思いきや、胴体の首の付け根から背中に掛けて、ようすが何やらヘンである。
大穴が開いている。しかもそれは腹の方までずっとトンネルみたいに続いているような気配だ。
まさかと思ったが、この穴の奥に頭が収まっているとしか考えられないので、職員たちは作業を打ち切った。
検死の結果、やはり頭は亡骸の腹の中にすっぽり嵌まり込んでいたそうだ。
(文/川奈まり子)