運転免許証自主返納の「時宗法主」って、一体何者?
日本仏教の一派である時宗の法主、他阿真円上人が運転免許証を返納した。
上人は97歳。先日発生した高齢者による加害事故に胸を痛め、免許返納を決意したという。
時宗法主という肩書きは現代日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、日本仏教史においては重要な意味合いを持つ。なぜなら、時宗の開祖である一遍上人は「宗教の常識」を覆してしまったからだ。
■時宗とは?
神奈川県警藤沢署。他阿真円上人の運転免許証返納式は、ここで行われた。
全国の警察は今、高齢者に向けて免許証の自主返納を呼びかけている。それと引き換えに渡される運転経歴証明書は、様々な店舗での割引や特典が適応されるスグレモノだ。こうした取り組みは、これからさらに発展していくだろう。
また最近では、認知症男性の「運転卒業式」に関するツイートが大きな話題になった。「免許証を手放す」ことは、人生における大きな区切りであるのかもしれない。
さて、高齢者の交通事故に心痛めて免許返納を行った他阿真円上人は、一遍上人から数えて74代目の時宗法主。一遍上人という名を聞いたことはあるが、具体的に何をやったかを知っている日本人は多くない。
時宗とは、浄土教から派生した一派である。浄土教とは阿弥陀仏を信仰する仏教だが、その根本の教えは「念じること」だ。
平安時代当時の日本の浄土教は、観念主義だった。極楽浄土を現世でイメージングすることで救済されるという発想。だから京都の有力者は、「極楽浄土の再現」である平等院鳳凰堂を建立した。
ところが、こういうことは極端な金持ちにしかできない。だから鎌倉時代になると、「南無阿弥陀仏」と口で唱えることが「念じること」とされるようになった。
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■信じない者も救われる
ただ、それでもやはり問題が発生する。
「南無阿弥陀仏」と口にする行為は誰にでもできるが、それ故に「どれだけ心を込めて言うべきか」「何回唱えたら極楽浄土に行けるのか」という議論が起こったのだ。
これに対するひとつの結論として、一遍上人はこう言った。
「阿弥陀仏はどんな人間も必ず救ってくださる。だから、教義や仏の存在を信じていなくても問題ない」
宗教とは、世界のどこでも「信じる者は救われる」のが常識だ。だが一遍上人は、その「当たり前」すらも捨てたのだ。
一遍上人の生きた13世紀当時、「信じない者も救われる」と言い切った宗教指導者はこの人物以外に存在しない。
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■「終活」に向けた布石として
まさに究極の平等思想であるが、そんな宗派の法主が運転免許証を自主返納した出来事はやはり注目に値する。
人間の肉体は、必ず老いる。それを自覚し、周囲に配慮した上で大きな決断を下さなければならないということだろうか。そのあたりの解釈は各人によるものだが、人は誰しも平等に老いることは否定できないだろう。
これは今話題の「終活」につながる話かもしれない。人生の収め方を考える時が、遅かれ早かれ必ず訪れる。そのための布石として、運転免許証の自主返納は重要なイベントでもあるのだ。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)