【 川奈まり子の実話系怪談コラム】生霊返し【第五十一夜】

2016/12/07 21:00


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高知県出身の安岡さんは、25歳のとき夫と死別した。2016年現在、35歳だそうだから、およそ10年前になる。

それ以来、独り身だ。夫の死後に起きた出来事が原因で、人との深い関りを避けてきた。「恋人も親友もいません。家族を持つことは考えられないですね」と安岡さんは言う。


安岡さんは、高地県出身だ。県内の大学へ進学し、卒業後は東京に本部のある医療事業団の高知県支部に就職した。そこで事務をしていたが、2006年1月、夫になる男性と出逢い、知り合って3ヶ月で結婚した。

医療事業団では、時折、講演会を開催し、医療や福祉の識者を講師として招致していた。彼は、助手として講師に随行して来県したのだった。

東京都内の一流大学院卒で、年齢は三十歳で独身。

両親に買ってもらった都心のマンションに住み、趣味は乗馬とテニスと旅行だと聞いて、安岡さんは優雅な生活を想像した。

そして、彼と結婚すれば自分もその中に身を浸すことが出来るだろうと思った。


「彼のことが好きでしたが、リッチな生活への憧れもありました。それに、東京へ行きたいという気持ちも強かったんです。

高知は、住み心地はけして悪くないんですよ? 私が育った町も、とても良い所でした。

でも、私は人一倍、都会にコンプレックスがあって……。正直なことを言うと、彼が東京の人だから、よけいに好きになったのかもしれません。

最初は、私の方から積極的にアプローチしました。それで向こうが私に関心を持ってくれなかったら、その後、あんなこともなかったわけですが、当時の私は、自分で言うことじゃありませんが、モテたんですよ」


「ほら、こんな感じで」と言って、安岡さんは、結婚前の写真を私に見せた。


失礼なことだが、私はとっさに驚きを隠せず、すかさず彼女に「別人みたいでしょう」と問われて、何も言えなくなってしまった。


これが同一人物だろうか。言われてみれば、小鼻のあたりに面影はある。

しかし容姿がここまで変わることがあろうとは。何より、体型が違う。現在の安岡さんは、少なめに見積もってもおそらく体重が80キロを超えており、正直、かなり肥っているのだが、写真の中の女性は非常にほっそりとしているのだ。

バレリーナのように華奢な首、色白のうりざね顔に、大きな目(今は脂肪に半分以上、埋もれている)。

そして、そんな造形もさることながら、何より、瞳に輝きがあり、表情が活き活きとして愛嬌がある点が魅力的だ。

どんな写真かというと、若い女性が清楚な白いブラウスを着て微笑み、四角い建物の前に立っているだけなのだが、思わず見入ってしまった。

「勤めはじめて間もない頃に、母が撮ってくれた写真です。この頃は50キロありませんでした。45キロくらいかな? 今の体重は、当時のほぼ倍です」


この当時はモテたでしょう? と不躾なことを訊ねると、安岡さんは気を悪くも悪びれもせずにうなずいた。


「ええ。性格も、今は何でもマイナスの方へ考えてしまうたちですが、あの頃はどちらかと言えば明るい方で、人付き合いも良かったから、男の人とはそれなりに付き合ったことがありましたし、モテていたと思います。

今では、昔のことは全部、夢みたい。

さもなければ、夫と結婚した頃からずっと、悪夢を見ているような気がします」


安岡さんたちが結婚した年には、エポックメイキングな出来事がいくつかあった。

私がまっさきに思い出すのはライブドア事件だ。その年の1月23日にライブドアの堀江貴文社長と取締役3人が証券取引法違反容疑で逮捕され、連日、ニュースワイドショーで取り上げられた。

安岡さんは、「イナバウアー」だそうだ。


「トリノオリンピックでフィギュアスケーに出場した荒川静香さんがやって、話題になりましたよね。真似するのが流行ったの、憶えてますか? 私は小さい頃バレエを習っていたせいか体が軟らかくて、あのポーズが出来たんですよ。それで、5月だったかな、結婚してから1ケ月経ったかどうかという頃に、ふざけて夫にやって見せたんです。ほら、見てみて、イナバウアーって……」


微笑ましい光景を想像した。あの頃は、そんな若いカップルが日本に何組もいたに違いない。安岡さんが言うとおり、真似が流行っていた。道端の小学生も、テレビのお笑い芸人も、皆して「イナバウアー!」とやっていた時期があった。


「笑ってくれるか、感心してくれると思ってました。あんな一発芸のギャグ、普通は、どっちかしかないでしょう? でも、夫は違いました。激怒して、私のことを殴ったんです」


下品でいやらしい、淫らで、男を誘っているようで、正さなくてはいけない――それが、夫が安岡さんの「イナバウアー」に怒った理由だった。

嫉妬だろうか? イナバウアーが淫ら? 潔癖症なのか。

わけがわからないが、ともかく、このことが発端となって、暴力は日を追うごとにエスカレートしていった。

安岡さんは、誰にも言えなかったそうだ。


「親に心配かけたくなかったし、高知の友だちに対しては見栄や意地みたいなものがありました。それに、東京には親しい人がひとりもいなくて。彼の両親とお兄さん夫婦が都内に住んでいましたが、結婚直後の頃から、みんなして私を馬鹿にしている雰囲気を出しはじめて、一緒にいるとみじめな気持ちにさせられることが多かったから、打ち明けられませんでした。

とくにお義母さんが、私にすごく冷たくて。話しかけても無視したり、私が何か言うと揚げ足を取ってきたり、嫌っていることを隠そうともしませんでした」


結婚前は皆、優しくしてくれたのに、と安岡さんはつぶやいて、唇を噛んだ。

また、これも結婚してから初めてわかったことだが、実は夫の収入は20万円に満たなかった。母校である大学で週に何度か講師をしていて、その報酬だけが彼の稼ぎだったのだ。

両親からの仕送りで贅沢な暮らしをしてきており、「うちの親と血が繋がっていないおまえに使わせる金はない」というのが彼の言い分だったという。

しかし、2人分の食事を作ることを、夫は安岡さんに期待した。洗濯や掃除をすることも、だ。

安岡さんは、彼がいつかは変わってくれるだろうと思いながら、食費や洗剤など日用品にかかる雑費を、自分の貯金から払いつづけた。


「馬鹿でした。彼との交際中に浮かれて洋服や何かを買いすぎたせいもあって、自分の貯金を使い果たしてしまうまで3ヶ月もかかりませんでした。

お金は大事です。私の場合、どんなに暴力を振るわれても、お金が無いからどこにも行けないって、そこで思考が停止して、やられっぱなしになってしまいましたから。

だんだん家にこもるようになって、1日中、ぼんやりしているようになりました。

彼はときどき、菓子パンとかおにぎりとか、コンビニで売ってるようなものを少しだけ買ってきて、私に放ってよこしました。……餌ですね」


とんでもない男だが、いわゆるDVの典型で、似たような話を見聞きしたことはある。

DVでは暴力と経済搾取はセットになっていることが多いそうだ。支配して無力感を植え付けるには、どちらも有効な手段だからだろう。

厭な話だ。

人と関わることを避けるようになったのは、死別した後に起きたことが原因だと安岡さんは前置きしていたと思ったが、そこは私の記憶違いが勘違いで、DVがきっかけなのかもしれない。

私はそう考え、そこのところをあらためて確認した。

しかし、彼女は首を横に振った。


「違います。DVが原因で人付き合いが苦手になったわけじゃありません。

もちろん彼がああいう人じゃなかったら、あるいは私がしっかりしていて、早いうちに逃げていたら、その後のことも起きなかったとは思います。でも、違うんです。

……なんで逃げ出さなかったんだろう。

あの頃は、彼の言いなりでした。本当に、命令には絶対服従という感じで、たとえば、服を脱げと言われると、そこが台所だろうがリビングだろうが、大人しく脱いでました。 彼は精神を病んでいたと思いますが、私も頭がヘンになっていたんですよ」


11月のある日、早朝から裸で玄関に正座させられ、そのまま夫が出勤した。

そこへ、たまたまマンションの管理人が訪ねてきた。安岡さんは、裸のまま、よろよろと立ち上がり、ドアを開けた。


「あのときは寒さと飢えがひどくて、頭がボーッとして……。実は、よく憶えていないんです。管理人さんは、私が裸だったから凄く驚いて、きっと大声をあげたんじゃないかと思うんですが、記憶にありません。そのときすぐに私の体が痣や傷だらけなことに気がついて、救急車を呼んでくれたことも、あとで人づてに聞いて知りました」


安岡さんは重い打撲や捻挫を全身に負っていて怪我が深刻だったうえ、診断の結果、腎臓の機能が低下していることや、頭に殴られて出来た血腫があることもわかった。

治療だけでなく、時間をかけて各種の精密検査を受ける必要もあるとされて、運び込まれた病院にそのまま入院した。

安岡さんを担当した医師は、警察に通報することを彼女に勧めた。

しかし、安岡さんはそうしなかった。

出来なかったと言うべきか。

彼女が救急車で運ばれた日の深夜、夫が自殺してしまったのだ。

住んでいたマンションのベランダから飛び降りて、救急車で搬送されたが、病院に到着後、死亡が確認された。


「彼が運び込まれたのは、私が入院していた病院でした」


夫が自殺したことにより、結局はDVの事実も双方の両親に知られることになった。

事が露見すると、安岡さんの両親は憤慨した。

転院が可能になり次第すぐに彼女を実家に連れて帰ると言い、夫の葬儀にも出なかった。もとより安岡さんは入院中で出られるわけもない。


「お義母さんから何度か病院に電話が掛かってきましたが、私は出られなくて、うちの母か父が対応してました。そこで、どんなやりとりがあったのか、初七日だったと思いますが、義母が遺影を持って、突然、病室に来てしまって……」


義母は黒い着物の喪服を着ていた。病院スタッフの制止を振り切って安岡さんが入院している個室に押しかけ、黒縁の額に入った遺影を突きつけた。

安岡さんは失神してしまったのだという。


「警備員や病院のスタッフが義母を追いかけてきて、なだめて帰らせたという話です。

大騒ぎというほどでもなくて、義母はむしろほとんど無言だったそうで、それがかえって恐ろしかったと、病室に居合わせた母が言っていました」


そんなこともあり、まだ治療する必要はあったが、家族や担当の医師と話し合った結果、夫の飛び降り自殺から10日目に、安岡さんは急遽、退院することになった。

退院の日の早朝、彼女は浅い眠りの中で誰かに首を絞められる夢を見た。

最初は夫かと思ったが、夢の中で相手の両手を掴むと、手首が細く、女のようだと思った。

顔は真っ黒になっていて、見えない。

逆光になっているのとも違う、黒い靄のようなものが頭をすっぽりと覆っている。

苦しくてもがいているうちに、看護師がやってきて目が覚めた。

あまりにも生々しかったので、安岡さんは最初、夢だとは思わず、看護師に、「今誰かが逃げていきませんでしたか?」と訊ねた。

しかし、看護師は変わったことは何もなかったと答えた。何者かに首を絞められたと訴えたが、うなされもせず、ごく静かに眠っていたということだった。

だったら夢に違いないと納得するほかなかったが、看護師が行ってしまってから、ベッドを下りようとして、安家さんは履き物が見当たらないことに気づいた。


「母が病院の売店で買ってきてくれた、底が平らな、赤いサンダルでした。脱いでおいたところに無くて、それから間もなく母がやってきたので探してもらって、でも見つからなくて。母が探し物をしていたら暑くなったから風を入れようと言って窓を開けたんです。そうしたら、窓のずっと下の植え込みに、赤いものが引っ掛かっているのがそうじゃないかって言い出したので、私も窓のところへ行って、見てみたんです。

その途端、ここは12階だけど、うちのマンションも12階じゃないかって気がついてしまいました」


安岡さん親子は、サンダルをそのままにして退院する旨を、病室にやってきた看護師に詫びた。

その後、病院からタクシーに乗ったのだが、タクシーに乗ろうとした瞬間、安岡さんは何者かに左肩を強く掴まれて、後ろに引き倒された。

尻餅をついただけで、大事には至らなかったが、不思議なことに、そのとき安岡さんのそばには誰も居なかった。

先にタクシーの後部座席に乗り込んでいた母が慌てて降りてきて、助け起こしてくれた。


「母は、私が独りで転んだと思っていました。私のそばには誰もいなかったと言うんです。確かに、後ろから引っ張られて転ばされたのに……。

でも、私は、まだ精神状態が普通とは言えない状態で、3日前にも義母に夫の遺影を見せられただけで気を失っていたでしょう?

だから、そのときは、母は、私の言うことを信じてくれませんでした。

そうこうするうち、私自身にも、幻覚だったんだと思えてきました」


引き倒されたのも何かの錯覚だし、サンダルを病室の窓から落としたのも、安岡さん自身かもしれない。

話を聞いていた私も、そう思わないではなかった。

しかし、羽田から高知へ向かう飛行機に搭乗する際にも、そして飛行機の機内でも、不可思議なことが起こり、とうとう安岡さんの母親も彼女の言うことを信じるようになったそうだ。


まずは搭乗直前。お手洗いに行った母親が、搭乗時刻寸前まで戻ってこなかった。チケットを母親に預けていた安岡さんがハラハラして待っていると、目をつりあげ、異様な形相になった母が走ってきた。

危ういところで飛行機に間に合ったのはいいが、見れば、母は大汗をかき、しずくを顎先から滴らせて、全身を小刻みに震わせている。慌てて走ってきたにしても、大変な興奮のあとが目に余った。

「どうしたの?」と安岡さんは訊ねたが、訊く前から、何か奇怪なことに遭ったのだろうと直感していたのだという。


話を聞いてみればやはりそうで、トイレを済ませて手を洗っていると、後ろを黒い着物を着た人が通りすぎるのが鏡に映り、「喪服だな」と思ったまではいいが、外に出ようとすると、聞き覚えのある声で「行くな!」と怒鳴られた。

耳もとで声がしたように感じ、びっくりして振り返ると、誰もいない。

怖くなって小走りに戻ってこようとしたけれど、どういうわけか、搭乗口にたどりつけない。安岡さんが待っている搭乗口の番号だけが無い。行き過ぎたのかと思って引き返すが、その番号だけが、やはり無い――。

「私は待っていて、このままでは本当に間に合わなくなると思ったので、場内アナウンスで、母の名前を呼んでもらったんです。母は、自分の名前が放送されたら、次の瞬間、私が搭乗口で待っているようすが目に飛び込んできたんだそうです。そこで一目散に駆けてきたのだ、と」


次は機内で、離陸直後のことだった。

離陸し、機内ラジオが使えるようになるとすぐに、安岡さんの母は音楽プログラムを聴きはじめたのだが、1分経ったか経たないか、ほんのわずか聴いただけで、イヤフォンをかなぐり捨てて、隣の席の安岡さんにしがみついた。

「DJが喋っている声に被さるようにして、さっき空港のトイレで聞いたのと同じ、女の声が聞こえたと言うんです」

おっかなびっくり、安岡さんも聴いてみると、確かに副音声のように誰かが喋っている。

「でも、言葉が不明瞭で、何を言っているのか全然わかりませんでした。それがちょうど、口の中で念仏を唱えているような感じで、すごく不気味で……」


高知の実家に帰ってからも、度々、安岡さんたちは奇怪な出来事に遭遇した。

安岡さんは、女に首を絞められる悪夢を頻繁に見た。

同居する家族は、喪服を着た女の影を家の中や周辺で目撃したり、声を聴いたりした。

中でも、母は毎日のように怪異に遭遇するようになった。


「母には霊感があったのだと思います。母が子供の頃、死んだお祖母さんから土佐珊瑚の簪を貰う夢を見たら、その後、箪笥の奥からひょっこり遺言書が出てきて、それには、本当に、その簪を母に譲るようにと書かれていたんだそうです。

それほど強い能力じゃなかったんでしょうけど、母には、私や父には見えないものが、ときどき見えてしまうようでした」


安岡さんは、夫に負わされた傷が癒えてからも、よく怪我をした。就職しようとしたり、何か資格を取得するために通うことを考えて学校を見学しに行こうとすると、そういうときに限って、事故に遭う。

走ってきたオートバイが目の前でいきなり転倒してぶつかってきたり、階段から足を踏み外したり。一度など、頭の上から鉢植えが降ってきたそうだ。

どれもひとつ間違ったら死んでいたかもしれない事故だが、いつも命は助かる。

鉢植えが落ちてきたときは、安岡さんと並んで歩いていた母が突き飛ばしてくれて、軽い怪我で済んだ。


「母には、私の頭を大きな手がわしづかみにしているのが見えたそうです。だから突き飛ばしたんだと言っていました。

そのことがあってから、母の祖父は、いざなぎ流の太夫さんで、特別な能力を持っていたと言われているので、その血筋を引いているから、自分も普通の人には無い力を少しだけ持っているのに違いないと、母は言うようになりました。

私はそんなことは初耳でしたが、父は、母の祖父が太夫さんだったことを知っていたようでした。 そして、母がクモ膜下出血で倒れると、父は、母の里に新しい太夫さんを探しに行きました。

いざなぎ流の生霊返しをしてもらうために」


生霊返し、正確には「不動王生霊返し」は、土佐に伝わる民間信仰「いざなぎ流」の呪詛返しの秘儀である。

いざなぎ流は、仏教や神道、陰陽道、そして易学や修験道などと、古くからの習俗が混淆して、平安末期以降に形成されたと言われている。

祭儀を指揮する宗教者は「太夫」と呼ばれ、性別や血縁とは無関係に、太夫にふさわしいと地域において認められた人物が、その役に就き、祭文や儀式の作法を受け継ぐ。

土佐国物部村(現高知県香美市)がいざなぎ流発祥の地であり、現代に至るまで伝承されている唯一の地でもあるというから、安岡さんの母はそこの出身なのだろう。

ところで、不動王生霊返しは、別名を「燃えん不動王生霊返し」と言って、「もえんふどうおう、かえんふどうおう……」から始まる呪文を説くことによって、生霊を飛ばしてくる相手を呪い返す、いわゆる「呪詛返し」の秘術だという。

一説によれば、生霊というのは、飛ばしている相手も、生霊を飛ばしていることに気づいていない、つまり、意識的に危害を与えようとして生霊を飛ばして災いを為しているわけではないのだと言われる。

無意識にやっていることを憎んで、呪詛によって懲らしめることには、当然、賛否があるだろう。

当のいざなぎ流の太夫は、不動王生霊返しを人に勧めることはないとも聞く。

いざなぎ流の世界観では、災厄の原因は「呪詛(スソ)」であるとするが、呪詛とは、家族間の感情のもつれや争いなどによってたまった悪い穢れた「気」だと説いている。

人と人が憎み合うなど、悪い感情を持ち合って生じた穢れた気が祟り神と化して、災いを起こし、いざなぎ流の太夫はそれを鎮めるのだ。

――どうだろう。集落で尊敬を集める、人の道をきわめた人格者の像が浮かんでこないだろうか?

世襲ではなく、適格者が太夫に就く。だったら、呪いの技や祭文の知識の有無に負けず劣らず、集落の人々の感情のもつれを解きほぐすすべに長け、深い知恵があったなればこその太夫の称号なのではないかという気がしてくるが、如何なものだろう。

いざなぎ流の太夫が読む祭文は、山や川などの神々の説話で、祭文を聴いた祟り神たちは、その本性を思い出して穏やかになり、「山のものは山へ、川のものは川へ」と、悪しき眷族神を率いて引き揚げていくのだそうだ。

集落の子供らは、おとぎ話を聞くように、祭文を楽しんだという。

なんと穏やかで知的な、美しい信仰ではないか。


あの血腥い不動王生霊返しは、本当に、いざなぎ流の呪術なのだろうか。

何事にも裏と表はあるものだが、にわかには信じられない心地がする。

……私は、あの呪文を書くことに躊躇している。

ここで明かすことで何が起きようが、起きなかろうが、私には一切の責任は取れない。

いざなぎ流専門の研究者ではないので、正確か否かも保証できない。

然しながら、あの陰惨な雰囲気を伝えるため、一部だけ記すとする。


≪向こうは血花に咲かすぞ。味塵と破れや、そわか。燃えゆけ、絶えゆけ、枯れゆけ。

生霊、狗神、猿神、水官、長縄、飛火、変火。其の身の胸もと、四方さんざら、微塵と乱れや、そわか。

向こうは知るまい。こちらは知りとる。向こうは青血、黒血、赤血、真血を吐け。泡を吐け≫


――さて、安岡さんの父は、母の里で誰と会い、何をしてきたのか。

安岡さんがどれだけしつこく訊いても決して口を割らなかったが、その後、彼女がやたらと事故に遭うことはなくなり、母の病も、一時は命も危ぶまれたのに、後遺症もなく完治した。

不可思議な現象は、一切、止んだ。


しかし、安岡さんの両親は、それからおよそ3年の間に2人とも亡くなってしまったそうだ。

父も母も就寝中に事切れて、どちらも亡くなっているのを発見したのは安岡さんだった。

両親いずれも、血の混じったピンク色の泡を吹き、苦悶の表情で死んでいた。

司法解剖が行われ、そして2人とも死因は心不全だとされたが、安岡さんは生霊返しのせいで死んだのではないかという疑いが拭えなかった。

そして、その頃から彼女はみるみる肥満しはじめて、今の姿になった。


両親が死んでしばらくして、彼女は、とある機会を得て東京に仕事を得た。亡夫との怖い思い出しかない東京だったが、人生を経済的に好転させる滅多にない好機を逃すわけにはいかなかった。

そこで単身、上京して、都内で暮らすことになったのだが、震災のあった2011年の3月に、仕事がらみの法事で行った都内の寺院で、亡夫の父親とばったり出会った。


「あちらは私が誰だか思い出せないようでした。これだけ見た目が変わっているのだから無理はないですよね。

だから、迷いましたが、思い切って話しかけてみたんです。

初めは驚いていましたけど、すぐに落ち着いて、ご両親はお元気ですかって訊いてきたので、2人とも亡くなりました、と答えました。

そうしたら、「うちの家内もです」って。

その亡くなった時期というのが、父が生霊返しをしてもらうために太夫さんを探しに行って、うちを留守にしていた、ちょうどその頃だったんです。

しかも、死因はうちの両親と同じ、心不全。

……でもね、生霊の祟りや生霊返しを信じるか信じないかなんて、私はどうだっていいと思ってるんです。

そうじゃなく、誰かを憎んだり、憎まれているんじゃないかと疑心暗鬼になったりするのは、本当に厭な、怖いことだなって……」


安岡さんは、「もう二度と御免です」と最後に呟いた。

それから私は、独りぼっちで歩み去るその背中を見送ったのだが、彼女が吸い込まれていった都会の雑踏を眺めていて、ふいに恐ろしさがこみあげてきた。

この群衆の誰もが感情を持ち、憎んだり憎まれたりしているのかと思うと。

≪向こうは知るまい。こちらは知りとる≫

ああ、怖い。

・合わせて読みたい→【川奈まり子の実話系怪談コラム】堀田坂今昔【第三十八夜】

(文/川奈まり子

コラムホラー川奈まり子怪談
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