未婚率上昇で茄子を食わせる「嫁」がいない? 時代遅れのことわざ
「いつまでもあると思うな、親と金」今となっては意味が通じにくい、時代遅れのことわざを黒田勇樹が添削
虫は食べられるけど、茄子は食べられない俳優/ハイパーメディアフリーターの黒田勇樹です。
元々、『世界ウルルン滞在記』のロケで虫を食べた際「このまま何でも食べられるようになってしまっては、キュートさがなくなる」と、子供の頃から嫌いだった茄子を「一生食べられるようには、ならない」と、心に誓っていました。
しかし、ここ最近禁酒を始め「酒も、茄子も」では、大人として面倒くさいやつになってしまうと思い、茄子を解禁しようと十数年振りに食べてみたのですが、やっぱり嫌いでした。
このコラムは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べる「妄想的」な語源しらべぇです。
■秋茄子を食わせる「嫁」
茄子と聞いて、まず思い出すのが「秋茄子は嫁に食わすな」。
秋の茄子はおいしいので、憎い嫁には食べさせない、なんともひどい姑側からのいびりを表したことわざなのですが、筆者には茄子のおいしさがわからないどころか、食べさせる嫁もいないので、まるでピンときません。
年々、生涯未婚率が増えている現代社会、時代にことわざを寄せていくのであれば
「秋茄子を食わす嫁がいない」にした方が、秋の茄子の旨さと独身のむなしさを際立たせ、結婚に対する意欲を促進し、しいては少子化への歯止めになるのではないでしょうか?
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■昔と違う「親」と「金」
家族に関することわざでは、ほかにも時代に合わないものが多い。たとえば「いつまでもあると思うな、親と金」。
いつまでも親が面倒見てくれるわけでもないし、お金は使えば使うだけ減っていく、独立と倹約の大切さを表すことわざですが、格差社会、高齢化社会の現代においては、こうです。
「いつまでも親は生きてるし、金は元々ない」…より絶望感が増しました。
家族のあり方が変わってくる現代社会の中で、家族に関することわざをいくつか考察してみましたが、想像以上に現代は世知辛いようです。
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(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)