『妙高山』の名を冠して熟練の職人が追い求める 気品あるしなやかさと雅な趣きのある酒
越後富士とも称される妙高山を酒銘にいだく妙高酒造。世界を見据えた地道な取り組みに迫る。
越後富士と称される標高2454mの秀峰・妙高山。その名にちなむ清酒『妙高山』は、敷地内にある地下130mの井戸から得られる妙高山系の伏流水を使用している。
ややミネラルを含む軟水を生かし、淡麗でありながらも旨味がしっかり感じられる酒を醸している。
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■越後富士・妙高山の恵みの水、米、そして人
米は、山田錦などの一部を除きほぼ新潟県産米。杜氏をはじめ蔵人の多くは農家で、夏の間は米作りの日々となる。
杜氏自らが育て上げた五百万石の特別純米酒に続き、2017年に蔵人栽培米の純米吟醸酒も発売したところ、すぐに売り切れる人気酒となった。
農家として米に携わることにより、稲の生育期や登熟期の天候、栽培地の特性など、米の状態に影響を与える要素は酒造りが始まる前に彼らの中にインプットされている。
米づくりと酒造りを交互に行う蔵人達は、米の旨味を十分に引き出す酒を醸しだす。 水も米も、より良いものを追求しても完璧はなく、常に変動する。
それでも、毎年多数のコンテストで入賞の誉れを得る酒が造り続けられているのは、杜氏と蔵人たちの弛まぬ取り組みがあってこそ。「人」こそが、妙高酒造の酒造りの軸なのだ。
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■平田正行杜氏、黎明期の吟醸との出会い
妙高酒造は、文化12(1815)年の創業の歴史を持つ。その杜氏を務める平田正行さんは、2009年に「全技蓮マイスター(酒造の部)」(全国技能士連合)と翌2010年に「にいがたの名工」(新潟県)に認定され、「上越に、その人あり」と称される名杜氏だ。
平田杜氏は、杜氏の郷として名高い旧頸城村(現頚城区)の米農家の次男坊。例に漏れず、父親は、冬には酒蔵に入る杜氏だった。大人になると、東京の大手銀行に就職。しかし、父と同じ道を志し、故郷へと戻った。
春から夏は田畑で米や野菜を育て、秋から冬は父が杜氏を務めていた酒蔵で修業。その後、国税庁醸造試験場を経て妙高酒造に入社する。当時としては異例の若さ、38才で越後杜氏となる。
杜氏となる前、協和発酵株式会社(当時)土浦工場を見学し、黎明期の吟醸酒に出会った。その時の味、そして震えるほどの感動を、今も忘れられないという。
それは正に芸術品。上品な香味のバランスとたおやかな味わいに出合い、平田杜氏は目指す酒の骨格を、進むべき道を定めた。今、円熟の時を迎えている平田杜氏の、杜氏としての原体験であった。