「蔵を作り、酒を造り、酒屋に戻る」 焼けた蔵を前に『加賀の井』蔵元が誓った挑戦
2015年の「糸魚川大火」で蔵を全焼した『加賀の井』。その後の挑戦に迫る。
■新蔵に込めた思い
火災の直後も、「『蔵を建てる』ということだけは決まっていた。だから、そのために何が必要なのかを知るためにすぐに動き出した」、という小林さん。
東日本大震災などで被災し、新蔵を建てた酒蔵をいくつか訪問して、その時の経緯や経験を聞いて、アドバイスをもらうこともできた。
「以前の蔵は、仕込み蔵、米蔵、窯場などが分かれて立っていたのですが、今回はそれを一つの建物に集約し、部屋ごとに異なる機能を持たせた設計になっています。動線も短くなります。一部2階建てで、一般民家の3階建てと同じくらいの高さになるでしょうか。
3階にすることもできたのですが、そうすると、建築の許可に時間がかかる可能性があって、今季の造りに間に合わなくなってしまうので、ギリギリの高さにしました。
仕込み蔵も櫂棒が無理なく使える十分な高さが取れましたし、駐車場は裏側に持ってきて荷物の出し入れもスムーズになります」
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■蔵元からの一言
小林さん:以前からの知り合いはもちろん、全く知らない方々など、たくさんの方たちから、励ましの声をかけていただき、言葉をいただいて、とても勇気づけられました。
そして、短い期間、限られたスペースでしたが、新蔵についてできることはすべて詰め込みました。あとは、我々がすべて新しくなった設備を使いこなして、今までの味を再び造り出せるか。不安もありますが、造れることがとても楽しみです。
海沿いの町、糸魚川市は不思議な町だ。人口4.4万人弱の町に、決して大きくはないとはいえ5軒の酒蔵があり、酒販店、飲み屋さんの数も多い。
腕を交差させて乾杯する「クロス乾杯」でギネス記録を保持した過去も。地元愛飲率も高いようで、タクシーに乗って「酒蔵へ」と告げると、嬉しそうにお酒の話をし始める。
日本酒への愛着がただごとではない町。その応援も得て、蘇る日はすぐそこに来ている。
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(取材・文/Sirabee編集部)