メタル一筋で還暦を迎えた男 ANTHEM・柴田直人の自伝が新事実満載でスゴすぎる
ジャパニーズ・メタルの重鎮、ANTHEMの柴田直人がその前半生を語った自伝を出版。
■音楽生活と人間関係
常見:人間関係についての記述も興味深かったです。柴田直人というミュージシャンがどのような人と交わりつつ生きてきたのかというライフストーリーそのものですし、日本のメタル史の貴重な資料です。
メタル以外の人についても面白い記述があって、札幌で高校生活を送っていたときに同世代の安全地帯が旭川で活動していて人気を呼んでいたり、BLACK HOLEが準優勝したコンテストで、優勝していたのがのちのスターダスト☆レビューだったり。
柴田:人生で学んだことと言えば、「チームって大事なんだ」ということですね。
常見:まず、確認しておくべき事実は、ANTHEMにしろ、その前のBLACK HOLEにしろ、じつは「自ら結成したのではなく、加入したバンドだ」ということですね。
柴田:そうなんです(笑)。自分がリーダーとしてつくったプロバンドは、THE MANしかないんです(笑)。
常見:クラブチッタのイベントに出演する超豪華メンバーバンドですよね。ANTHEMは幼馴染みで札幌時代から交流が始まった小柳彰史や、最初の解散まで一緒に活動するMAD大内が先に始めていたんですよね。
柴田:そうです。僕が加入したあと、彼らがもっと本気でやりたいというので、なんとなくリーダーになっていったんです。
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■たくさんの出会いと別れ
常見:自伝では、たくさんの出会いと別れが語られています。
柴田:はい。やはり、最初の別れというか、小柳彰史がバンドを去った時は辛かったですね。自ら立ち上げたバンドを去った彼のことを考えると…。申し訳ないという気持ちもありました。
でも、バンドが先へ先へと進む中でやむを得なかったことでもあるし。あの頃の僕は彼をフォローしてあげられなかったんですね。若さって残酷だなと思いました。お互い若いので、どうしようもなかったとは思いますけど。
常見:坂本英三さんとの出会いと別れについても、多くのページが割かれていましたね。脱退が決まっている中、レコーディングをし、ツアーや海外公演もしたという…。でも、出会いと別れに誠実だなあという印象を受けました。
柴田:デビュー前のヴォーカリスト、トニーこと前田敏仁からは「いろいろ考えましたがじつはメタルがそんなに好きではないのかも」と言われて、脱退に至ったんです。
その後任のオーディションに来ていたのが、メジャーデビュー時と再結成時のヴォーカリストの坂本英三であり、1988年から解散までと、2014年から現在のヴォーカリストである森川之雄ですね。
常見:結局、メジャーデビュー時には「未完成な坂本英三を育てよう」ということになり。森川之雄さんはパンチパーマだった上、日本語の歌詞があまり得意ではなかったとか(笑)。
柴田:坂本英三が脱退するときも「あの、パンチパーマのやばい奴はどうしているんだろうか」という話になったんです。
彼は、ANTHEMのオーディションに落ちた悔しさをバネに活動を続けていて、日本語の歌詞もだいぶ上手くなっていたし、パンチパーマでもなくなっていた(笑)。